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■白鹿亭冒険記譚■ □序話〜白鹿亭の冒険者□

 この世界には、<鳥>と呼ばれる者たちがいる。
 彼らはまさしく空を飛ぶ鳥のように世界を渡る。常宿を持たない者は<ワタリ>と呼ばれ、旅をしながら日銭を稼ぐ。その一方で、拠点となる宿を決め、宿の仲介を経て依頼を受ける者たちもいた。この物語は、そのような<ルト>と呼ばれる者たちのささやかな冒険譚である。

 大陸西部きっての交易都市ラルード。その南郊外に<白鹿亭(はっかてい)>という<鳥>たちの宿があった。<白鹿亭>は父娘二人で経営している木造二階建ての小さな宿で、一階が食堂兼酒場、二階が<鳥>たちに貸す寝室となっていた。所属している<鳥>は三組だが、今は二組が依頼で外に出ており、宿には最近所属したばかりの駆け出しパーティがひと組残っているだけだ。朝の忙しい時間帯が過ぎ、再び昼食で賑わうまでの静かなひと時。白鹿亭の一階には宿の亭主であるグリード・グラータと、木製丸テーブルの一席に腰掛けて本を読む小さな子供の姿があった。
「……クロ、お茶のお代わりはいるか?」
 グリードの問いかけに、クロと呼ばれた子供は読んでいた古めかしい本から視線を上げた。ボブカットの黒髪に、大きな黒い瞳。そのあどけない顔立ちと小さな背から、歳は大体十歳前後と推察された。これでも歴としたこの宿の<鳥>で、今は普段着だが、旅に出る時は濃い紫のローブに身を包み、折り畳んだ杖を伸ばして魔術を振るう。クロはグリードにひとつうなづいて、本を丸テーブルに置くと、カウンターまで自らのカップを持っていった。
 グリードは紅茶を淹れるべくお湯を沸かしながら、天井を見てため息をついた。
「まったく……あいつらはまだ起きてこんのか。本当、困った奴らだなぁ……」
 そうぼやいたグリードの視線をたどって、クロも天井を見上げた。その先には、クロが冒険を共にしている仲間の寝室がある。仲間の一人はクロより先に起きて出かけているが、残りの四人はまだベッドの中だった。
「いつものことだが、まぁそのうち起きてくるだろう。お茶が入ったら持って行くから、続きでも読んで待ってろ」
 グリードの気遣いにクロは再びうなづくと、ため息をついて自らの席へ戻ったのだった。


 クロの二杯目のお茶がすっかり冷め切った頃、トントンと階段を降りてくる足音が聞こえた。
「お、誰か起きてきたな」
 グリードの言葉に、クロも本から視線を上げて階段の方を向いた。
 あくびをしながら降りてきたのは、クロよりいくらか年上の小柄な少女だった。
「ふあ〜、おはよ〜」
 少女は滲んだ涙を拭ってクロとグリードにヒラヒラと手を振った。夕焼け色のショートカットに、同色の瞳。頭には緑色のターバンが巻かれ、白いヘソ出しタンクトップにショートパンツと露出度の高い服装をしていた。鮮やかなオレンジ色のロングベストと黄色いストールがひときわ目立つ。スラリとした足には膝下までの編み上げブーツを履いていた。
「アニス、遅いぞ。今何時だと思っとるんだ」
「まだお昼前じゃん。クロおはよ」
 少女、アニス・エアードはクロに挨拶しながら彼の向かいに腰掛けた。クロは視線で応えると、そのまま本に意識を戻してしまう。
 アニスは再び出てきたあくびを噛み殺しながら、腕を上げてくっと背筋をそらした。
「んー、まだ眠いなぁ。二度寝してこよっかな」
「なにを言っとるか。先に起きてひとり健気に待ってたクロを少しは見習え」
「それはまだ起きてない奴らに言ってよね。あ、トーストとお茶でよろしく」
 アニスの注文に、グリードはまだ文句を言いたげな顔をしつつも厨房へと入っていった。再び静かになった一階に、アニスの盛大なあくびが響き渡った。


 アニスがトーストを食べ終わり、クロと共にお茶をすすっていると、ひとりの少女が重たい足取りで階段を降りてきた。
「おはようございます……」
 かすれた声でそう挨拶したのは、二人の仲間であるローゼル・フェルクラウトだ。夜色の長髪に赤い布のヘアバンド、大きな瞳はルビーの紅。桃色のシャツワンピースに黒のベストを着ており、出かける時はそれに紺色のローブを羽織る。彼女は血色の良くない顔でフラフラと丸テーブルまで歩いてくると、すでに力尽きたようにアニスの隣に座った。
「おはよ、ローゼル。……だいじょぶ?」
「……気持ちが悪いです……」
 ローゼルはテーブルに突っ伏したまま声を絞り出した。ローゼルはかなりの低血圧で、寝起きは大抵具合が悪いのだ。
「ローゼルも起きたか。ほら、ハーブティー淹れといたぞ」
「……ありがとうございますマスター……」
 グリードが差し出したハーブティーを受け取るも、ローゼルは口を付けることなく再び机に突っ伏した。
「うぅ……」
「大変ねぇ、あんたも……」
 他人事のように呟いたアニスを睨みつけて、ローゼルはがくりと脱力したのだった。


 ハーブティーの力でローゼルの具合がようやく回復した頃、気の抜けたあくびと共に階段を降りてくる足音がした。
「……はよ」
 ぼさぼさの銀髪を掻きながら、彼らのリーダーであるライハ・ウェルズが一階に顔を見せた。銀の髪に銀の瞳。肌もなめらかで端正な顔立ちなのだが、ゆるんだ表情で見た者にはいささか間抜け面に映る。ベージュのシャツにオレンジのジャケット、灰色のパンツに黒のブーツを履き、腰には二本のベルトを巻いていた。ふた振りの剣を扱うからだ。ひとつはこの大陸で広く扱われる両刃の剣、もう一つは大陸の東にあるウェスタリアの武器であるカタナだ。
「おっはよ〜、ねぼすけさん」
 アニスが笑いながら、間抜け面のライハをからかった。ライハは憮然とした面持ちでローゼルとクロの間に腰掛けた。厨房から顔を出したグリードが、ライハを見るやいなやあからさまに嘆息した。
「やっと起きてきたか。もう昼だぞ」
「……悪い」
「とりあえず、混む前に飯用意してやるから待ってろ。お前らも食べるか?」
 グリードに尋ねられ、残りのメンバーもうなづいた。厨房へ入っていくマスターを見送ってから、ローゼルがふと疑問を口にした。
「そういえば、エリータは?」
「あぁ……もうしばらくかかると思うぞ」
 どこか遠くを見つめながらそう答えたライハに、他のメンバーは嫌な予感を覚えたのだった。


 それから昼飯時のピークも過ぎ去り、再び宿が静寂を取り戻した頃。
「うぅ……」
 苦しそうなうめき声と共に、ひとりの女性が階段を降りてきた。
「ようやっと起きたか…」
 お茶をすすっていたライハがポツリと呟いた。
「おはよー……」
 階段を降りてきた女性は、片手で頭を抑えながらどかっとクロの隣に腰掛けた。
 普段はポニーテイルにしている茶色の長髪を下ろし、アメジスト色の瞳を痛みに細めている。メリハリのきいたボディは健康そうな褐色で、白いインナーに赤い襟の黒いシャツベスト、黄色に蓮の模様が浮かぶ腰巻の裾からは引き締まった脚とロングブーツが覗いていた。
「おはよ、エリータ。だいじょぶ?」
 アニスが尋ねると、エリータ・メイルートは痛むこめかみを抑えながら苦い顔をした。
「頭いたーい」
「エールの飲みすぎです。昨日注意したじゃないですか」
 二日酔いに苦しむエリータに手厳しいのはローゼルだ。隣に座るクロが心配と呆れが織り交ざった視線をエリータに向けた。
「うー、吐きそう」
「吐くなら外で吐いてよね」
 アニスの言葉も容赦がない。味方がいないと嘆くエリータに、グリードが水の入ったグラスを手渡した。
「お前はもう少し酒の加減を覚えろ、いい歳なんだから」
「うっさーい、大丈夫だと思ったのよ……ありがと」
 エリータは水をぐいっと一気に飲み干すと、空になったグラスをグリードに返した。それで少しマシになったらしく、エリータは手早く長い髪をまとめ上げた。
「さて……あと一人、だな」
 お茶を飲み干したライハがそう呟いたとき、宿の玄関扉がきしんだ音を立てて開いた。
「すみません、遅くなりました」
 そう言いながら宿に入ってきたのは、長身痩躯の青年だった。輝く砂色の長髪に、穏やかな同色の瞳。ともすれば女性と見紛うほど整った顔は、柔らかい笑みを浮かべている。青いラインの入った白いローブに、彼の信仰するクライス教のシンボルである十字のロザリオがぶら下がっていた。
「ファル、おかえり」
「ただいま戻りました」
 聖術師、ファル・ルイス・フェルナータはライハにそう応えると、空いた椅子に腰掛けた。
「やっと揃ったか。いい加減仕事をしたらどうだ? <蒼空の雫>」
 彼らの通り名をグリードが呼んだ。<ルト>のパーティ<蒼空の雫>の六人は、丸テーブルを囲んでお互いに顔を見合わせた。
「それじゃ、今日の依頼を選びますか」


挿絵(絵師:彩名深琴様)
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