kazameigetsu_sub-signboard はじめに メンバー 文章 イラスト 手仕事 放送局 交流 リンク

■白鹿亭冒険記譚■ □【蒼空の雫】冒険譚〜よき空の巡りに鐘が鳴る side-A□

 大陸西部にある都市の中でも多くの人、物資の集まる交易都市ラルード。その南郊外は人々が暮らす居住地区で、この日も住民は午後の休憩を思い思いに取り、南郊外の通りは春独特の柔らかな陽気と穏やかな時間で満ちていた。
 そんな心地よい空気を破ったのは、現在何名かの冒険者が拠点としている宿屋【白鹿亭(はっかてい)】から響き渡った亭主の怒鳴り声だった。
「おーまーえーらぁぁぁぁ……いい加減仕事せんかぁッ!!」
 一階が食堂兼酒場となっている【白鹿亭】では、ちょうどランチ目当ての客が引いて大分落ち着いた頃だった。現在、食堂にランチ客はおらず、丸テーブルの一つにはこの宿を拠点としている冒険者パーティが残るばかりだ。彼らは何事もなかったかのように、窓からこぼれ出る暖かい日の光を楽しんだりゆったりとお茶を飲んだり、めいめいが好きなことをしていた。
「こら、【蒼空の雫】! お前たちに言ってるんだぞ!」
 名指しで呼ばれてはしらばっくれることもできない。【蒼空の雫】の面々は実に面倒くさそうに、カウンターの向こうで激怒する亭主を振り返った。
「何だよ、親父さん……仕事ならこの間したじゃないか」
 そう答えたのは、パーティのリーダーであるライハ・ウェルズだ。ライハは遅めの昼食をフォークでつつきながら面倒くさそうに亭主を見やった。彼の向かい側に座っていた女剣士のエリータ・メイルートが、彼に賛同してうんうんとうなづいた。
「そうそう、私たちだって疲れてるのよ、親父さん」
「ドラゴンと闘ったりして、ね」
 エリータの言葉に、アニス・エアードが茶化すようにクスクス笑いながら便乗した。その笑い声をさえぎって、亭主がドン! と握ったこぶしでカウンターを叩いた。
「一週間前は“この間”とは言わん! あとな、エリータ。お前のそれは酒の飲み過ぎだと何度言ったら分かるんだ!」
「失礼な。最近ちゃんと減らしてるわよ。ねぇ、クロ?」
 エリータは猫なで声で隣に座る子供の魔術師、クロに同意を求めた。クロは膝の上の分厚い本からついと視線をエリータに向けたが、胡乱げに目を細めると、無言のまま再び本に視線を戻した。
 クロの助力を得られなかったエリータはわざとらしく肩をすくめると、亭主のしてやったりという視線から逃げるようにそそくさと冷めた紅茶をすすった。その横から助け船を出したのは、パーティの良き参謀である魔術師のローゼル・フェルクラウトだ。
「親父さん。アニスも言ったように、私たちは先日危険な冒険をしてきたばかりなのです。死と隣り合わせの冒険は、私たちの精神を削るもの。少しぐらい休んだってバチは当りませんよ」
 ローゼルのフォローにに方々からささやかな拍手が送られた。亭主は後退し始めた額に浮かんだ青筋をぴくつかせて、カウンター奥の引き出しから取り出したツケ用の帳簿をライハの顔面に投げつけた。
「げふっ!」
「お前たちがそうしてのうのうと休んでいる間にも、ツケは溜まっていくんだがなぁ…こいつはいつ支払ってくれるというのかね? ん?」
 顔からずり落ちた帳簿を手に取ってその額を見たライハは思わず眉をひそめた。帳簿に書かれた額は、前回見た時から減るどころか逆に増えていたからだ。
「……はぁ」
 ため息をついて、ライハは帳簿を亭主に投げ返した。
 仕方ない。働いて稼がなければ、いつまでたっても綺麗な体にはなれないのだ。
 諦めたライハが依頼板を見に行こうと立ち上がると、亭主がようやく落ち着いた面持ちで一枚の紙を取り出した。
「やっと仕事をする気になったか。ほれ、丁度都市警から野盗集団討伐の依頼が来てるぞ。これなんてどうだ?」
「都市警からの依頼は、内容の割に依頼料が安いからパスね」
 ひらひらと手を振ってアニスが都市警の依頼を追い返し、ライハも無視してさっさと依頼板に向かった。亭主はそんな二人を恨めしそうに睨みつけたが、最終的に仕事をしてくれればいいと思ったのか、黙々とグラスを磨き始めた。
 板に貼ってある依頼の紙を、ライハはざっと見渡した。相変わらずロクな依頼がない。出所の不明な探し物依頼、怪しげなうたい文句の遺跡探索、冗談のような魔王退治依頼……もっとも、大体の冒険者が出かけてしまった昼下がりに残っている依頼など、大抵こんなものなのだが。
 やはり、親父の言う都市警の依頼を見るだけ見ようか――妥協しかけたライハの目に、突如としてそれは飛び込んできた。

『急募! 荷物を届けてくれる冒険者募集! 報酬八百バーグ。
 詳しくは港町ウィーザのマクディ・ベルフォートまで』

「…はぁっ!?」
 驚きのあまり思わず二度見してから、ライハは乱暴に依頼の紙を破り取ってテーブルへ引き返した。
「どうしたのです、ライハ」
 穏やかに尋ねた聖術師のファル・ルイス・フェルナータに答える代わりに、ライハは強張った表情のまま依頼の紙を丸テーブルの中央に叩きつけた。各々がその紙を一斉に覗き込む。
「はぁっ!? 八百バーグ!?」
「たかが荷物運びに!? どういう神経してんのよ!」
 一行が驚きの声を上げると、亭主がカウンターから身を乗り出して、依頼の紙を覗き見た。
「あぁ、ベルフォート氏の依頼か」
「どういう方なのですか? その…ベルフォート氏、というのは」
 ファルが尋ね、他のメンバーも興味津々な様子で亭主を見つめた。亭主はそんなことも知らんのかと呆れた面持ちで一行を見たが、グラスを磨く手を止めて教えてくれた。
「南のカーバン群島の住民を相手にしている貿易商だ。ラルードの貴族の家柄でもある。貿易で大儲けしている上にお貴族さまだ。そんな金持ちには八百バーグもはした金なんだろうよ」
 最後の方を嫌みったらしく締めくくり、亭主は再びグラス磨きに戻った。静まり返った食堂の中、誰かが唾を飲み込んだ音がやけに大きく響いた。
「……どうする?」
 全員の顔をゆっくりと見回して、ライハが尋ねた。エリータが背もたれに寄りかかりながら、思案顔で天井を見やった。
「八百バーグかぁ…この宿のエールが一杯五バーグだから…」
 指折り数えて、エリータは顔を輝かせた。
「百六十杯も飲めるわ!」
「エリータ…」
 隣の席でクロが呆れ顔でエリータを見つめたが、本人は全く気にもせず、皮算用にほほを緩ませている。
 アニスがにやりと怪しげな笑みを浮かべ、顎に手を当てながら呟いた。
「たかが荷物運びに八百バーグ……悪くないね」
 アニスの呟きに反論する者はいない。唯一この場を不安そうに見ていたクロが、隣に座るライハの袖をくいくいっと引っ張った。
「やめた方が…罠かも」
「クロ、リスクなくしては冒険者などやってられませんよ」
 軽やかな口調でそう言ったローゼルはすっかり乗り気だ。ライハもローゼルに同意してうなづいた。クロは助けを求めて亭主を見たが、亭主は我関せずといった様子でグラス磨きに熱中していた。
 結局クロの不安をよそに、一行はそそくさとウィーザ行きの支度を整えだすのであった。

戻る side-B>

Copyrights © 2004-2019 Kazameigetsu. All Right Reserved.
E-mail:ventose_aru@hotmail.co.jp
inserted by FC2 system