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■白鹿亭冒険記譚■ □【蒼空の雫】冒険譚〜乙女の涙は慈悲深く side-B□

 依頼人の少女を家まで送り届けた【蒼空の雫】は、イーストビギンズ西郊外にある建物を探して狭い路地を歩いていた。
 夜の帳が下りた路地はしんと静まり返り、彼らの足音以外はなにも聞こえなかった。暗がりを不安げに歩くローゼルの足下を、何匹かのネズミが目を煌々と光らせながら素早く横切って行った。驚いた彼女は一瞬歩みを止めてしまったが、喉元まで出かけた悲鳴はなんとか飲み込んだのだった。
 やがて、一行より先を歩いて目印を探していたアニスが一軒の家屋の前で立ち止まった。看板などはなく、ただ壁に打ちつけられた黄色いぼろ布が風になびくだけだ。家屋は木製で古くさく、少し衝撃を加えればあっけなく崩れ落ちてしまいそうだった。
 アニスはさっとあたりを見回して他に人気がないことを確認すると、先ほど教えてもらったばかりの独特なリズムで扉をノックした。
「……開いてるよ」
 中からしわがれた声がそう言ったので、アニスは立て付けの悪い扉をゆっくりと開けた。
 家屋の中は簡素なバーの作りをしていた。五、六人が席に着ける長さの、年期の入った木製のカウンター。その背後には三、四人がけの四角いテーブルが二つ、窮屈な空間にうまく収まっていた。
 カウンターの奥では、一見すると酒場に見えるこの建物の主が静かにグラスを磨いていた。そしてその向かい側の席では、ぼろ布のような服をまとった痩せぎすの中年男が一人エールをひっかけていた。
「あんたが、ブライアン・チャック?」


挿絵(絵師:彩名深琴様)

 カウンターの男の隣に座りながら、アニスが話を切り出した。名前を呼ばれた男が警戒するような目でアニスを見ている間に、ライハたちは後ろのテーブルにそれぞれ腰を下ろした。
 <猫の集会所(キャッツラリー)>。街に潜む盗賊たちの集会所を意味する言葉だ。大陸では冒険者が鳥に例えられるように、シティシーフたちは猫に例えられる。彼らが時に情報交換のために立ち寄ったり、重要な集会をする際に集まることから、シティシーフたちの拠点がそう呼ばれるようになった。
 男はしばしアニスを精査するようにじっと見回した後、慎重に言葉を絞り出した。
「…誰から聞いた?」
「【白馬の蹄亭】の亭主から。あんたの情報が一番この辺じゃ信用できるって」
 アニスが勝ち気な笑みを浮かべた。その後ろのテーブルでは残りのメンバーが、注文した飲み物をちびちびとすすりながら二人のやりとりを静観していた。
 しばらく、二人は心の内を探り合うように黙ったままお互い視線を交えていた。先に折れたのはブライアン・チャックの方だった。
「…蹄の親父の紹介じゃ断れんな。なにが欲しい?」
「そうね…こっちの状況を説明した方が、的確な情報がもらえるかな。信用しても?」
 アニスの問いに答えず、男はガリガリとふけの浮かぶ頭をかき回して、グラスに残っていたエールを飲み干した。
「おやっさん、もう一杯」
「出すわ」
 すかさず、アニスが男のエール代をこの<集会所>の主に渡す。男はふん、と鼻を鳴らして、よく冷えたエールのグラスを受け取った。
「情報料は別途もらうぜ」
「もちろん」
 ようやく男が笑みを見せた。二人の間で信用取引が成立したようだ。早速本題に入り、アニスは情報屋ブライアン・チャックに依頼の経緯をざっと説明した。
 一通り話を聞いた情報屋は、無精ひげの生えた顎をひとつさすって、エールを飲んだ。
「たぶん、そいつはイカれたポーターの仕業だな」
「誰? そのイカれたポーターってのは」
 アニスが相手の名称をそっくりそのまま問い返すと、情報屋はおかしそうにククッと笑い声を漏らした。
「アンドラス・ポーター。元は<連盟>に所属していた魔術師のジジイだ。奴は生物や物体に直接作用するたぐいの術の研究をしていたんだが、新しい術を人間で試したかったらしいんだな。だが、<連盟>じゃ体裁上、人体実験は御法度だろ? ヤツはとうとう我慢ならなくなって、研究資料を持ち出して<連盟>の実験塔から逃げ出した。つい最近の話だ」
「へぇ。そいつがイーストビギンズに?」
「正確には、ビギンズから南に六時間ぐらい下った森に建ってる館にだ。この辺で<連盟>に背を向けてるイカれた魔術師はヤツしかいない、おそらく間違いねぇさ。<連盟>はヤツを追うのに冒険者を雇うって話だが、もう雇われたかは俺もまだ知らん」
 そこまで一気に話して、ブライアン・チャックはエールをあおった。アニスはちらりと他のメンバーの方を見てから、交渉を再開した。
「どっちにしても雇われるのを待ってる余裕はないね。その館の見取り図とかさぁ…」
「さすがに。ずいぶん昔に打ち捨てられた貴族サマの館だからなぁ…館までの地図は書いてやろう。なに、そんなに複雑な道じゃない」
 情報屋はそう言いながら、<集会所>の主が話の間に手際よく用意していたイーストビギンズ周辺の地図に赤いペンでさっと線を引いた。折り畳んだ地図をアニスに渡したその手で、情報料を催促する。アニスは腰のポーチから硬貨の入った皮袋を取り出した。
「ありがと、助かったよ。一五でいい?」
「馬鹿野郎。二はもらうぜ」
 アニスは苦い顔でぶつくさ言いながら、皮袋から百バーグ硬貨を二枚取り出して情報屋の手の平に落とした。
「高い買い物した…次からあんたは絶対使わないわ」
「ご自由に。安いモン買ってデマ掴まされんなよ」
 意地悪く笑いながら懐に硬貨をしまったブライアン・チャックに舌打ちして、アニスは勢いよく立ち上がった。先に外へ出る他のメンバーに続こうとしたアニスのベストが翻り、背中に留めた短剣がかいまみえた。
「お? お前、その短剣……<鷹狩(ホーキング)>か?」
 意外そうに片眉をあげた情報屋の言葉に、アニスの体から一瞬、殺気がほとばしった。アニスは情報屋の目をまっすぐに睨みつけながら、低く声を絞り出した。
「…わかってるね、情報屋。信用問題よ」
「わかってるさ、兄弟。また会おうや」
 脅すようなアニスの言葉にも全く動じず、ブライアン・チャックはひらひらと手を振った。

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