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■白鹿亭冒険記譚■ □【蒼空の雫】冒険譚〜乙女の涙は慈悲深く side-D□

「鼠が…どこから入り込みおった?」
 もうもうと煙が立ち込める中、開いた右側のドアから現れたのは、薄汚れたローブを着た老人だった。彼は顎に蓄えた白髭をなでながら、訝しげに侵入者である一行を見やった。
 アニスとエリータがすぐさま、突然魔術を放ってきた老人を牽制するように武器を構えた。クロはローゼルとファルがライハのところへ動いたのを見て心配げに眉をひそめたが、ぎゅっと杖を握り締めると、アニスとエリータの後ろからまっすぐ老人を見据えた。
 ローゼルとファルはその間に、未だ晴れない視界の中、火の玉が直撃したライハと子どもの元へ駆け寄った。
「ライハッ! あなた……ッ!?」
 ローゼルが煙の向こうにライハを見つけて慌てて呼びかけると、しゃがみ込んだままのライハは、なにごともなかったかのようにあっさりとローゼルを振り返った。
「大丈夫だ、なんともない」
「そんなわけないでしょう! ファル、早く…」
 そう言いながらファルを仰ぎ見たローゼルは、唖然とライハを見つめるファルに言葉を途切れさせた。彼の視線を辿り、火の玉が命中したはずのライハの背中を見る。彼の背中には火傷どころか、ジャケットに焦げ跡すらついていなかった。
 驚きに二の句が継げずにいる二人に、ライハは子どもを抱えて立ち上がりながら苦笑した。
「ギリギリ避けたんだ。それより…」
 ライハが真顔で魔術師の老人に視線を向けたので、二人もそれ以上追求せずに魔術師の方を見た。魔術師は平然と立ち上がったライハに気づくと、驚愕の表情でライハを見つめた。髭に覆われた老人の口がなにかしら言葉を紡ぐが、一行の耳には届かない。ただ静かに魔術師の視線を受け止めるライハに、老人のか細い、枯れ枝のような腕が伸ばされた。
「なんと…お主…お主はまさか…!」
「そう、そのまさかよ」
 部屋に張り詰めた緊張を破るかのように、その気配は唐突に現れた。独白に近い魔術師の呟きに応えたのは、よく通る、どこか妖艶な響きの女性の声だ。驚いた一行と老人は同時に、声のした方――この部屋へ降りてくる階段の方を見やった。
 コツ、コツ、とヒールの音を響かせながら階段を優雅な足取りで下りてきたのは、神々しいまでの美しさをたたえた女性だった。輝く銀色の長髪に、凍てついた冬を思わせる銀色の瞳。まぶたに乗せられた紫のアイシャドーと口元に引かれた鮮やかなルージュが、彼女の妖艶さを際立たせている。夜空の色をしたマーメイドラインのロングドレスは胸元が大きく開いており、彼女の白い肌が煌めいて見えた。
 誰もが一瞬、彼女に視線を奪われた。――彼女を見慣れた二人以外は。
「母さん!?」「レイアさん」
「えっ!?」
 予想外の反応に、ローゼルたちは驚いて彼女を呼んだ二人、ライハとクロを見た。ライハの言葉が本当なら彼女はライハの母親だが、その外見はどう見てもせいぜい二十代半ばにしか見えなかった。それに、彼女の名前。魔術師がおののきながら、彼女の名を呼んだ。


挿絵(絵師:彩名深琴様)

「レイア…レイア・ルー・フィアーナ…ッ!!」
「今はレイア・ウェルズよ。ねぇ、あなた?」
 彼女に応えるように続いて階段を下りてきたのは、体格のいい引き締まった身体つきの中年男性だ。茶色の髪は後ろの方をうなじで束ね、穏やかな二重まぶたの瞳は深い緑の色をしている。身にまとった空気は落ち着きながらも油断なく、どことなくライハの持つ雰囲気と似ていた。
「父さんまで…」
 隣で呆然とライハが呟いた。彼の父はレイアをかばうように魔術師とレイアの間に立つと、腰元の大剣にがっしりした手を添えた。
「魔術師アンドラス・ポーター。<連盟>から帰還命令が出ている。抵抗するようなら力ずくで連行するように、との依頼だ」
 淡々と用件を述べた男性を、魔術師は憎々しげに睨みつけた。
「ヤンダ・ウェルズ…! なぜだ、<連盟>の敵であるはずのお主等が…!」
「あら、<連盟>はあなたのような使いものにならない馬鹿ばっかりだから、優秀すぎて疎まれてる私たちに頼むしかなかったのよ。意味、わかるかしら?」
「レイア……」
 あからさまなレイアの挑発をヤンダが呆れ顔で諫めたが、レイアはまったくお構いなしに魔術師を見下して笑っている。そんな二人と魔術師のやりとりを遠巻きに眺めながら、アニスがぽつりと呟いた。
「レイア・ルー・フィアーナとヤンダ・ウェルズ…まさか、【緑風の翼】の?」
 【緑風の翼】。その名は冒険者や情報を扱う盗賊であれば、誰もが一度は耳にするはずの名だ。それほどに腕が立ち、活躍した冒険者だった。彼らが解散したのは二十年あまりも昔の話だが、未だに酒場などで彼らの冒険譚が語られることも多かった。
 ローゼルは、魔術師と自らの両親を見つめるライハを複雑な思いでちらりと見た。出会ってからおよそ一年もの間、行動を共にしてきた仲間。それなのに、ローゼルはライハのことをなにも知らないことに気づいたのだ。
 その時、ウェルズ夫妻の心の内を探るようにしばし黙していた魔術師が、そうっと腰に伸ばしていた手で、腰布にくくりつけていた皮袋を勢いよくもぎ取った。
「こんなところで…! わしの研究は渡さん!」
 魔術師はしわがれた声でそう吠えると、皮袋の中身を床にぶちまけて、早口に呪文を唱えた。途端、ばらばらに散らばった石がめきめきと音を立てながら、屈強な魔物に変形した。魔物たちは自らの力を誇示するかの如く、次々と咆哮を上げて室内の空気をビリビリと揺らした。
「聞き分けの悪い子ねぇ。少しお仕置きしなくっちゃ」
 魔物たちの声に怯むことなく、レイアはにいっと唇の端を上げて笑うと、自分に向かってきた魔物の方へすっとその白い腕を伸ばした。ふっ、と一瞬空気が揺れたかと思うと、石の魔物が突然内側からはじけて粉々に飛び散った。一瞬なにが起こったのか分からず目を白黒させる仲間の横で、ローゼルは今のが魔術であったことに気づき、愕然とした。レイアは詠唱もなく密にミスティックを練り上げ、魔術を繰り出しているのだ。詠唱の省略。それは並大抵の力ではなかった。
 そうして腕を振るうだけで、レイアは易々と魔物を粉砕していった。魔物たちは彼女を切り裂こうと、隙あらばその硬く鋭い腕を伸ばしたが、それらは全て彼女の前に立つヤンダの剣に受け止め弾き返され、時には打ち砕かれた。二人と魔物たちの力の差は歴然で、見ていた誰もが二人の勝利を確信した。
 圧倒的な二人の存在に恐れおののいた魔術師が、石の砕ける音に紛れて隣の部屋に逃げ込もうと動いた。二人はその動きに気づいたものの、魔物が邪魔で魔術師に届かない。
「おっと!」
 よろよろともつれる足で扉に近づいた魔術師の前に、素早く動いたアニスが回り込んだ。驚いて足を止めた魔術師を押さえ込むように、エリータが背後から彼の首筋に大剣を当てた。
「悪いけど逃がさないわよ」
 エリータが押さえ込んだ魔術師の体は、恐怖のあまりぶるぶると震えていた。全ての魔物を粉砕し終えたレイアが、魔術師に向けて腕をひと振りし、光の輪で魔術師の体を拘束した。
「お手伝いありがとうね」
 まるで日常の些細な手伝いに礼を言うような軽さで、圧倒的な力を振るった魔女は一行に向けてにっこりと笑いかけたのだった。

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