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■白鹿亭冒険記譚■ □【蒼空の雫】冒険譚〜乙女の涙は慈悲深く side-F□

 <ニンニの涙>。遙か昔、悪しき蛇を退治した青年が、蛇に最後の一撃を与えざま、その鋭い牙に咬まれて毒に倒れた。
 毒に苦しむ青年を想った乙女ニンニは涙を流し、その涙が奇跡のように青年の毒を癒した。
 <ニンニの涙>と呼ばれる木苺は、この時乙女ニンニがこぼした涙の跡から生えたと、現在に伝えられている――



「本当にありがとうございましたっ!!」
 【蒼空の雫】一行に向かって、依頼人の少女は深々と頭を下げた。彼女の背後にあるベッドでは、容態の落ち着いた子どもが健やかな寝息をたてていた。
「いいえ、お礼はウェイクフィールド氏に言ってください。彼が譲ってくれなければ他に当てはありませんでしたから…」
 調剤道具を片づけながら、ローゼルが遠慮がちに微笑んだ。その傍らでは、今回の旅で彼らがラルードから運んできた苺の木がみずみずしい実を揺らしていた。
 彼らが今回イーストビギンズまで足を運ぶきっかけとなった、植物運搬の依頼。依頼主であるウェイクフィールド氏の元へ届けた荷物の中に<ニンニの涙>はあった。氏の館まで赴き、事情を説明して<ニンニの涙>を譲ってほしいと頼むと、氏はまた【蒼空の雫】がこの植物を届けることを条件に、快く譲ってくれた。
 その間にファルがイーストビギンズの教会へ行き、調合方法が書かれた本を借りてきていた。その方法通りにローゼルが<ニンニの涙>を調合し子どもに飲ませると、彼の呼吸は時間と共に落ち着き、今はもう、死の危険は去った。
「毒素が完全に抜け切るまでにはまだ時間がかかるでしょう。あと何度か、同じように煎じて飲ませてください」
「はい。【蒼空の雫】のみなさん……本当にありがとうございました……っ!」
 改めて頭を下げた少女の瞳から涙がこぼれ落ち、窓から差し込む西日にきらめいた。乙女の涙は慈悲深く、と書いたのは誰だったか。昔読んだ書物の一説を思い出しながら、ローゼルは他のメンバーと一緒に笑顔を浮かべたのだった。



「んあー、やっと着いたー!」
 それからまた七日間の旅路を経て、一行は無事ラルードの東門にたどり着いた。印章を見張りに見せながら一足先に門をくぐったアニスが、どこかで言ったような台詞を言いながら軽やかにステップを踏んだ。彼女に続いて門をくぐってきたエリータが、くうっとひと伸びしてからぐるぐると肩を回した。
「ほんと、久々に長旅だったわね。イーストビギンズ、地味に遠いわ」
「おまえらなー、<ニンニの涙>がラルードになかったら、大陸東部まで行くことになるんだぜ? イーストビギンズで疲れてたらどうにもならないぞ」
 彼女たちの背後から、ライハが二人に厳しい言葉を投げかけた。<西の始まり>より東に行く可能性を考えれば、確かに今回より長旅になることは間違いない。アニスが必死にパンッと音を鳴らして両手を合わせた。
「どうかラルードにありますようにッ!!」
「誰に祈ってるんだ、誰に」
「えーと…アングレー雑貨店?」
「あぁ、確かにダイさんなら顔が広そうですね。帰りに寄ってみましょうか」
 にこやかにファルがそう提案し、ライハはギクリと顔をこわばらせた。彼はアングレー雑貨店の夫人が自分の両親と親しいので、なるべく顔を合わせないようにしていたのだ。そんな彼の思いもつゆ知らず、ファルとアニスとエリータはついでに買うものの話題で盛り上がり、クロがその話をどこか楽しそうに聞いていた。
 そんな仲間たちを遠巻きに眺めながら、ローゼルは一人考え事にふけっていた。
(<冷酷の女王>レイア・ルー・フィアーナ。連れ添った相手は意志を持つ魔剣をも従えると言われるヤンダ・ウェルズ。そして、その二人の間に生まれた、彼らの血を引く唯一の子ども……)
 彼女は、当の本人であるライハを見つめた。その見目は母のレイアに、まとう空気は父のヤンダに確かに似ていた。彼は、何者なのだろう。見慣れているはずの横顔が、ふっと遠くに感じた。なにも知らないのだ。ライハのことも、他の皆のことも。一年もの間、一緒にいたのに。きっとそれは彼女だけでなく、お互いに言えることだった。彼らはこの一年間、それぞれの身の上にふれることもなく、奇妙な信頼関係で共に旅を重ねてきたのだ。ローゼルも自分のことは、なるべくなら話したくなかった。お互い様だった。
(でも……<冷酷の女王>は知っている)
 彼女のどこまでも人を見透かすような、凍てついた瞳を思い出してローゼルはぞくりと身を震わせた。恐れているのだ、彼女のことを。自分の身の上が知られて、ここにいられなくなることを。
「…おい、ローゼル?」
「ひゃっ!?」
 不意に名前を呼ばれ我に返ると、ライハの顔がすぐ間近にあった。思わず、叩く。いい音がした。
「はっ!? ご、ごめんなさいライハ!」
 叩かれた左頬に手を当てて呻いたライハを、振り向いたアニスが笑いを噛み殺しながらからかった。
「アンタ、ローゼルになにしたのさ?」
「なんもしてねーよッ!!」
 がなり返したライハに、アニスとエリータが笑った。ローゼルは恥ずかしさと申し訳なさから、熱くなった顔を彼から逸らした。
「あの、すいません…その…びっくりして」
「ったく……なんかあったのか? ここんとこずっとぼーっとしてたぞ」
 ライハの指摘に、ローゼルは思わず彼の顔を見上げた。この七日間、確かによく考え事をしていた。まさかそのことを悟られて、気にかけてくれていたなど思いもしなかったのだ。しかし、この言いようのない不安をどう話せばよいのか分からなくて、ローゼルは口をつぐんでうつむいた。
 ライハはそんなローゼルをしばし見つめていたが、ひとつ息をつくと彼女の頭をぽんぽんとなでた。
「なっ!? なんですか!」
「いや、別に? それよりさっさと帰ろうぜ。親父のスープが冷めちまう」
 ライハはそう言って空を仰いだ。夕暮れを迎えたラルードの街は西日に照らされ、彼らの背後には夜の闇が少しずつ忍び寄ってきていた。今から歩けば、アングレー雑貨店に寄っても夕飯時には宿につけるだろう。ローゼルはライハと、自分たちより少し先でじれったそうに待つ仲間を見た。彼女の考えすぎだったのだろうか。たとえ彼がなんであろうと、ライハはライハに違いないのだから。そう思うと、ふっと体の力が抜けた。ようやくローゼルの顔がゆるんで、彼女は柔らかな表情で仲間を見やった。
「そうですね、帰りましょう」


挿絵(絵師:彩名深琴様)

 そうして宿へと歩き出した彼らを、物陰から見ていたひとつの影があった。
「やぁっと…見つけたぜぇ」
 影は喉の奥でくくっと低く笑うと、音も立てずにその場から姿を消したのだった。


to be continued...

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