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■白鹿亭冒険記譚■ □【蒼空の雫】冒険譚〜朝焼けの祝福 side-A□

 昼のかきいれどきが過ぎ、<白鹿亭>の酒場にはつかの間の静寂が訪れていた。丸テーブルの一席に腰かけたアニス・エアードの他に客はおらず、いつもはカウンターにいる亭主のグリード・グラータも、今は夕食の仕込みで奥の厨房にこもっていた。トントントン、と野菜を刻む音がかすかに聞こえてくる。いつも通りの、平和な春の昼下がりであった。
 アニスは黙ったまま、手に持ったひとふりの短剣をじっと見つめていた。窓から差し込んだ陽の光に刀身が鈍く輝く。過去の様々なことを思い出しかけて、アニスは軽く目を細めた。
「なにを見ているのですか?」
 階段を下りてきたファル・ルイス・フェルナータが、問いかけながらアニスの隣まで寄ってきた。アニスの持つ短剣を物珍しそうに覗き込む。砂色の長髪がさらりと肩から流れ落ち、鈍色の刀身に映り込んだ。
「いつも背中につけている短剣ですよね、それ。あまり使っているところを見ませんが」
「……形見なんだ。父さんの」
 突然の告白にファルは少し驚いた顔でアニスを見たが、そうでしたか、とだけ呟いてそれ以上深入りしてこなかった。その優しさが今のアニスにはありがたかった。
「出かけんの?」
「えぇ、教会に遠方からの来客があるので、その手伝いに。いい天気ですし、アニスも一緒にどうですか?」
「休みの日にわざわざ働くなんてゴメンだね。でも、教会の近くにある<フラメシュ>の焼き菓子には興味ある」
「わかりました、帰りに買ってきます」
 アニスの軽口に、ファルはくすりと笑みをこぼした。カウベルを鳴らして扉をくぐっていった高い背を見送ってから、アニスは抜きっぱなしだった短剣を鞘に収めた。
 窓の外に目をやれば、春の陽光麗らかないい天気だ。温かな日の光に、ふさいでいた気持ちが少しやわらいだ。やはりこのまま宿にいるのはもったいないと思い直して、アニスは椅子を引いて立ち上がった。
「親父さーん、あたしも出かけてくんね」
「おう、いってらっしゃい」
 厨房のグリードに声をかけて、アニスは宿を出た。カウベルの音を背に、どこに行こうか思考を巡らせる。東の森林公園を散歩するのもいいし、西の露店通りを見に行くのも楽しそうだ。今日はどちらかといえば、静かな方より賑やかな方がいいかもしれない。
 西に進路を決めて歩きだそうとしたアニスを遮るように、背後からぬっと影が差した。踏み出そうとした足が止まる。

「やぁっと、見つけたぜ」

 聞き覚えのある粘着質な男の声に、全身が総毛立った。鮮やかだった周りの景色が途端に色をなくし、水の中に潜っているかのように周りの音が遠くなる。自分の心臓の音だけがやけに大きくはっきりと聞こえ、汗がどっと噴き出した。
 振り返れば現実を認めなくてはならない。振り返りたくない。
 そう思いながらも、こわばった体を無理やり動かして、確かめずにはいられなかった。
「久しぶりだなぁ、<鷹(ホーク)>」
 日の光を背に立った男が、口元だけでにいっと笑う。あって欲しくなかった現実に、アニスの足元がぐらりとかしいだような気がした。


挿絵(絵師:彩名深琴様)
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