■白鹿亭冒険記譚■ □白鹿亭小話〜一期一会□
とある日の、穏やかな午後のことだった。
白鹿亭の酒場は、丁度昼のかきいれ時が過ぎ、ゆったりとした時間が流れていた。窓から降り注ぐ柔らかな日の光は温かく、六人掛けの丸テーブルでぼんやりとしていたアニスは、こぼれ出る欠伸を噛み殺した。
彼女の向かい側では、ファルが先日の旅先で拾った、綺麗な小ぶりの貝殻に何やら細工をしていた。同じパーティの他のメンツは、珍しく全員出かけていた。宿のマスターは奥の厨房で早くも夕食の仕込みをしているし、マスターの娘さんは宿の先輩冒険者に誘われて、近くの劇場に観劇に行っていた。
特にすることも行くところもないアニスは、ファルの手元をなんとなく見ながら、ふと声をかけた。
「……まだ持ってたんだ、それ」
彼が貝殻を拾った時、アニスはそんなもの拾ってどうするのだと言った。貝殻なんて拾っても、それが自分の人生の役に立つとは思えなかったからだ。
ファルは、その時と同じように柔らかい笑みを浮かべた。
「万物は、万物と出会うべくして生まれてくる、と神は言いました」
「ちょっと、説教ならよしてよね。ただでさえ眠たいんだから」
文句を言うと、ファルはにこりと笑って、再び貝殻細工に戻った。アニスはまた、ぼんやりとその手元をながめる。
しばらくして、ファルがゆっくりと口を開いた。
「万物は万物と出会うべくして生まれてきますが、全てのものに出会えるわけではありません」
「……さっきの続き?」
アニスが問うと、ファルは微笑を肯定に代えた。一度貝殻をテーブルに置き、傍らの道具箱から色鮮やかなひもを何色か取り出し、編み込みながら穏やかに続ける。
「出会う可能性は全てのものにありますが、出会えることとは別の問題です。何らかのタイミングが悪ければ…あるいはよければ、出会えたり、出会えないこともあるでしょう」
ファルの言葉を聞きながら、アニスは確かにそうかもしれない、と思った。自分がもし、盗賊団を抜け出していなかったら。それ以前に、もし自分が盗賊団に連れ去られずに、父と暮らしていたら……きっと、今のメンツに、ファルに、出会えなかったのだ。
ファルは三十センチほどの長さまで編み込みひもを作ると、貝殻に開けた小さな穴に、そのひもを通した。
「この貝殻も同じです。私が拾わなくても、誰かが目に留めたでしょう。ですが、せっかく、出会えましたから」
ファルはひもの端を、片方は輪に、もう片方は大きめの玉状に結んだ。どうやら、それで完成らしい。アニスが不思議な面持ちで貝殻を見ていると、ファルはにこやかに席を立って、アニスの後ろに回り込んだ。
「?」
「あ、そのままで」
振り返ろうとしたアニスを留めて、ファルは貝殻のひもをアニスの首にそっと回すと、ひもの端の輪に、もう片方の端の玉を通した。玉が輪に引っ掛かって取れにくい事を確認してから、手を放す。
それは、貝殻をトップにしたチョーカーだった。丁寧に磨かれた貝殻は、夜の空に絵の具を伸ばしたような、不思議な光沢を帯びている。そっと貝殻に指先で触れると、つるりとした感触が心地よい。
「どうです?」
アニスの後ろで、ファルがのんびりと尋ねた。アニスは思う。ファルが貝殻と出会わなければ、こんなことにはならなかったんだと。
「……あの、さ」
何らかのタイミングが悪ければ、もしくはよければ。ここにはいなかったファルに。
「ファルは、このタイミングで……よかった?」
あの銃を、手に持たなくて済んだなら。そっちのほうが幸せだったに違いない。
そんなことを思ったアニスの後ろで、あっさりとファルがうなづいた。
「えぇ、もちろん。こうしてアニスに出会えましたから」
あまりにさらりと言ったファルに、アニスは思わず顔が熱くなった。振り返れば、いつもと変わらぬ笑顔があるだろう。だが、今の自分の顔は絶対に見られたくないから、アニスは振り返って確かめるのをやめた。
「……この貝殻だけど」
代わりに、アニスはもう一度貝殻に触れ、ほころびそうになる顔をわざとしかめてみせた。
「思ったより、悪くないわね」
つんとしたアニスの言葉に、ファルは嬉しそうに微笑んだのだった。
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