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■白鹿亭冒険記譚■ □白鹿亭小話〜とある夏の夜のこと□

 それは、とある夏の日の夜のことだった。
 白鹿亭の二階にある部屋の一角で、ふと、ライハは目を覚ました。静まり返った部屋には他のメンバーの寝息と、かち、かち、と時を刻む時計の音しかない。部屋の灯りは消えており、窓にはカーテンがかかっているため、部屋はほぼ完全に暗闇だった。
 今は何時だろう、とライハはぼんやり考えたが、灯りをつけてまで時計を確認する気にはならなかった。ライハはもう一度眠ろうと、ベッドの上で寝がえりをうった。
 だが、夜とはいえ夏の室内はもやもやと蒸し暑い。ライハはしばらく意地になってベットに横になっていたが、やがて我慢できずにガバリと上半身を起こした。
 だめだ、暑い、寝付けん。仕方ない、面倒だが下で一杯水でも飲むか……
 そう思って、ライハがベッドから降りたときである。
 ふっと、視界の端を何か光が横切った。ライハは素早く目で光を追いかけたが、光はふっと窓のあたりで消えてしまった。
 ライハは追いかけて窓のカーテンを勢いよく引いたが、窓には光の形跡などまったくなく、ただ月明かりが柔らかく窓際を照らすだけだった。


「それってアレじゃない? 怖い話でよくあるヒトダマってやつ」
 次の日の朝、起きたライハが昨晩のことを話すと、話を聞いていたアニスがそんなことを言いだした。ライハはいかにも胡乱げな表情で、アニスを見やる。
「ヒトダマぁ?」
「そ。よくあるじゃない、人が死んだらタマシイだけ残って、ふわふわさまってるっていうハナシ」
 アニスが頬杖をつきながらニヤリと笑った。その隣で、がちゃん、と食器がぶつかる音がした。
「……ローゼル?」
 見れば、顔面蒼白になったローゼルが無表情で黙りこくっていた。ソーサーに置かれた紅茶のカップを両手で包み込むように持っている。その手が濡れていたから、置くときに勢い余ってこぼれてしまったようだ。わなわなと震える手の振動が伝わり、カップはかちゃちゃと小さく音を立てていた。
「ローゼル、もしかして怖いの?」
 ニヤニヤしながらアニスがつつくと、ローゼルはびくりと肩を震わせて、烈火のごとく怒りだした。
「そっ、そんなわけないじゃないですか! 私はただ、魔術師としてそういった霊的な事柄に反発を覚えるだけで…っ!」
「へーぇ、じゃあ、アタシがこの間聞いた、東区のとある道端で泣いている女の子の話を……」
「そっ、そう言えば私、図書館で調べることがあったんでした。失礼します」
 ローゼルは勢いよく椅子から立ち上がると、ぎこちない足取りで白鹿亭を出て行った。
 残された二人はそんなローゼルを見送ってしばらく無言だった。娘さんがパタパタと小さなかごに盛り付けたクッキーを手に厨房から顔を出した。
「ローゼル、お待たせ……って、あれ?」
「調べ物があるって出かけたぜ」
 ライハは不思議そうな顔の娘さんにそう言って、手の中のかごからひょいとクッキーをひとつつまんだ。アニスも便乗してクッキーに手を伸ばす。
 娘さんは不思議そうな顔のまま、クッキーのかごを二人が求めるままテーブルに置いた。
「ふーん、そうなの…【蒼空】は今日は自由行動なんだ?」
「ファルが教会に週末まで貸し出しだからね。エリータはいい機会だからって飲み仲間のとこに遊びに行っちゃって帰ってこないし」
「んもう、エリータったらまた…クロは?」
「クロなら昨日から母さんに会いに帰ってるよ」
 指についたかすをなめながら答えたライハを、娘さんはじーっと見つめた。
「? 何だよ」
「あ、ううん。こういう時って、ライハの方が一人で依頼に出かけたりするのに珍しいなーと思って」
 娘さんの言葉に、ライハは軽く頬を掻いた。昨日まではライハもそのつもりだったのだが、昨晩の出来ごとのせいでそんな気分ではなくなってしまったのだ。
「…ま、たまにはのんびりするのもいいかと思ってな」
「あまりにのんびりすぎて退屈だけどねぇ…ふあー、アタシもちょっとギルドに顔出してこよっかな。暇で仕方ないや」
 くうっ、とひとつ伸びをしてアニスが立ちあがった。ひらりと手を振ってドアの向こうに消える。
「…さてと、俺は昼寝でもしてくるかな」
「あ、ライハ」
 立ち上がりかけたライハを呼びとめて、娘さんがずいと手のひらを出した。
「?」
「クッキーのお金、払ってくださいね」


 その日の晩、白鹿亭で床についたメンバーは、結局ライハとローゼルだけだった。アニスはギルドから戻ってこなかったし、クロは今日もウェルズ家に泊まっているのだろう。エリータは夕方頃すっかり酔っぱらって顔をのぞかせたが、またすぐに飲み仲間とふらふら出ていってしまった。
 そんな夜半過ぎのことである。またもや、ライハはふと目を覚ました。今日こそ寝付こうと思うのだが、昼寝をしたせいか、すっかり眠気は覚めてしまっている。仕方ないのでベッドにあおむけに寝転がったままぼんやりしていると、頭上を昨晩のような光の玉が、ぼうっと漂っていった。
 ライハは昼間のアニスの話を思い出して一瞬身を固くしたが、まさか本当にヒトダマなわけはあるまい。少なくともライハはヒトダマを信じてはいなかったし、それより怖いものも知っていた。今更ヒトダマごときビビってなどいられない。
 今日こそ逃すかとライハが勢いよく身を起こしたその時、傍らでふっと息を飲む気配がした。見れば自分のベッドから起き上がったローゼルが、夜闇にも分かるほど蒼白になった顔でふわふわと漂う光の玉を見つめていた。
 ライハは得物を手にベッドから降りると、ドアの方へ漂っていく光の玉を追って歩き出した。背後でバサリと音がして、きゅっと袖を引かれる。振り返れば、ブーツをつっかけたローゼルが睨みつけるようにライハを見上げていた。怖かったら残ってても良いんだぞ、というようにライハが小首をかしげると、ローゼルはぶんぶんと勢いよく首を左右に振った。
 ライハは息をつくと、ローゼルと共にドアの向こうに消えた光を追った。部屋を出、階段を下り、静まり返った酒場を横切る。そのままドアから外に出ると、僅かな街灯に照らされた薄暗い通りを、ゆらゆらと光の玉が漂っていくのが見えた。
「どうします?」
「もちろん行くさ」
 二人はさらに光の玉を追って、通りを歩き始めた。南郊外の通りから北東に進み、夜は人気のない工場通りを通り抜けていく。光の玉は明滅を繰り返しながら、ゆらゆら、ゆらゆらと頼りなげにゆれていた。
「ミスティックの干渉がありますね」
 歩きながら、唐突にローゼルが呟いた。その表情には、先程までの怖れはない。
「魔術?」
「でしょうね」
 先程までの態度がなかったかのように平然としているローゼルに、ライハは思わず苦笑した。見つかったら烈火のごとく怒りだすのは目に見えているので、密かに夜闇に感謝する。
 しばらく追うと、東区の外れの通りに出た。工場や家屋の建物がまばらな通りの端に、光の玉がふよふよ集まっている。おそらく、あそこに術師がいるのだ。
 二人は警戒しながら、ゆっくりと術師に近づいて行った。近づくにつれ、光の中の人影がはっきりしてくる。小さな、子供のような影がふたつだ。
 二人が半径一メートルの距離まで近づいた時、片方の影が振り返った。それは見覚えのある顔だった。
「クロ!?」
 クロはかなり驚いた表情で、ライハとローゼルを交互に見つめた。と同時に、集中力が切れたからか、光の玉が一斉にふっと消えた。
「何してるんだお前、こんな時間にこんな…」
 ところで、と言いかけて、ライハはもう一人そこに女の子がいることに気が付いた。年はクロと同じぐらいか、少し下だ。女の子は大きなアクアブルーの瞳から、ぽろぽろ涙を落していた。
「…クロの、おにいさん?」
 か細い声で女の子がクロに尋ねた。クロは一度うなづいて、首をかしげて、もう一度うなづいた。
「先程の魔術はクロが?」
 ローゼルが尋ねると、クロがこくりとうなづいた。ライハはがしがしと銀色のざんばら頭をかきむしって、苦い顔をした。
「何がどうなってるんだかさっぱりわからん…何してたんだ、お前ら」
「あの、あたしがクロにお願いをしたの」
 女の子がクロをかばう様にそう言った。女の子の話では、クロと彼女はおととい友達になって、彼女がクロにホタルを見たい、とお願いしたらしい。しかしクロはホタルを知らず、ウェルズ家に一度戻ってホタルを教えてもらった。が、この付近には生息していないことも知って、なんとか魔術で再現しようとしたらしい。昨晩はミスティックが上手く干渉せず失敗し、今日はレイアに教えてもらった方法で試したのだそうだ。
 ライハとローゼルは顔を見合わせた。ホタル、というには大きすぎる光だった。見た事がないから仕方ないし、クロはまだ上手くミスティックの制御が出来ない。魔術が思うとおりにならないのも仕方なかった。
 申し訳なさそうにうつむくクロを、女の子がなぐさめている。しかし、止まらない彼女の涙に、よけいクロは悲しそうに顔を伏せていた。
 その様子に、ライハはふうと息をついて隣のローゼルをちらりと見た。視線に気づいたローゼルは瞬きをしてライハに返した。
「…ホタルが見たいなら、ここにエキスパートがいるじゃないか」
 落ち込む二人に、ライハがそう声をかけた。二人はうつむけていた顔をあげて、ライハとローゼルを見やる。ローゼルは自信たっぷりに笑みを浮かべると、すっと右腕を地と水平に伸ばした。
「炎を纏う儚きものよ、」
 ローゼルの呪文に呼応して、彼女の右腕に細やかな光の粒子が集い始める。
「今、我の前を照らせ。“蛍火の舞”」
 集った粒子を撒くようにローゼルが腕を一振りすると、小さな光の粒はふわりふわりと彼らの周りを舞い始めた。幻想的に明滅を繰り返し、周りを照らすホタルの光に、女の子はしばし呆然と見とれていたが、やがて涙を止めてふっと微笑んだ。
「よかった、これで、怖くない……ありがとう」
 彼女はそう言って、ふっとその場から光と共に消えてしまった。


「たっだいまー。やー参ったわ、急に仕事貰っちゃって帰れなくってさあ……なしたの」
 翌朝、白鹿亭に帰ってきたアニスは、ひきつった表情でいつもの丸テーブルに座る三人に思わず言葉を止めて尋ねた。明らかにローゼルは顔色が悪く、いつにもまして本を食いつくように読んでいる。クロはいつもの無表情がいささかぎこちない。ライハは何か言いにくそうにまごついた後、一つ、疲れたような息をついて答えた。
「なんでもない」

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