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■白鹿亭外伝―赤昇亭の冒険者―■ □雨宿り□

「びっくりした……急に降り出しましたね」
 交易都市ラルードの飲食店街、風花通り。そこの一件の軒先に慌てて飛び込んで、赤昇亭の冒険者であるリーン・アスラ・メルヴィはひとつ息をついた。白く華奢なその腕には、次の旅に必要な物品を詰め込んだ紙袋を抱えている。突然降り出した雨には驚いたが、幸い雨が降り出してすぐ軒先に飛び込んだので、荷物も自分も大して濡れずに済んでいた。
 リーンの隣では、共に買い出しに来ていた同じパーティのリーダー、ティル・ハルゼンが、同じように紙袋を抱えながらどんより重たい空を見上げた。
「…これは、しばらく止みそうもありませんね」
「うーん…サークに頼まれた本を濡らすわけにもいきませんし、どうしましょうか」
 ティルに倣って空を見上げていたリーンが視線を戻すと、ティルは軒先の看板を見やった。看板を見る限り、どうやらここは喫茶店のようだ。ティルが柔らかくリーンに微笑みかけた。
「ここでこうしていては体も冷えてしまいますし、よかったら止むまで紅茶でも飲みますか?」
 ティルの魅力的な提案に、リーンは二つ返事でうなづいた。宿で次の旅支度をしている他のメンバーには悪いが、初夏の雨の日は少し肌寒い。扉を開けたティルに促され、リーンは先に店内へと入った。
 店内はあまり広くはなく、カウンターと二人掛けの席が三つほどあるだけだった。カウンターの奥に座っていた女性が、カウベルの音に顔を上げた。
「いらっしゃい、お二人さまね?」
 マスターの問いに、扉を閉めたティルがうなづいた。他に客はおらず、マスターは「お好きな席へどうぞ」と入口の二人を促した。
 ティルとリーンは一番奥の窓際の席を選び、向かい合って座った。荷物をおろして軽くなった身で息をつく。
 リーンは窓際に置いてあったメニューを手に取ると、ティルの方に向けてテーブルの中央に置いた。
「何にしますか?」
「私は紅茶で。リーンは?」
「私もそうします」
 丁度マスターが水を持ってきたので、ティルは二人分の紅茶を注文した。ほのかにレモンの香りがする水をすすりながら、リーンは戻そうとしたメニューに何気なく目をやった。茶葉やサイドメニューは持ち帰ることも出来るらしい。サイドメニューの欄には、小さなフルーツタルトの絵が描かれていた。
「へぇ、タルトもあるんですね。おいしそう」
「頼みますか?」
 ティルにそう聞かれて、リーンは少し考えた。ここのところ旅路続きで、甘いものにはとんと縁がない。
「…いえ、今日はやめておきます」
 リーンは静かに首を振った。甘いものに縁がないのは、宿にいる仲間たちも一緒だ。
 リーンの考えていることが分かったのか、ティルは紫の瞳を優しげに細めて微笑んだ。
「じゃあ、次の冒険が終わったら食べに来ましょうか。ごちそうしますよ」
 その優しい言葉にうなづきながら礼を言いかけて、リーンははたと思った。
 ……それって、もしかして、デートのお誘い?
 そんなことを思った瞬間に、嬉しさと恥ずかしさで顔がぽっと熱くなった。慌てて心の中で、そんなことはないと必死に否定する。ティルは優しいだけなのだ。誰にでも優しい。優しいから、気を遣ってくれただけなのだ。
 しかしよく考えれば、この状況も傍から見ればデートに見えるのだと気付いて、リーンの顔はさらにほてってしまった。
「……リーン、どうしました?」
 ティルの声に、リーンははっと意識を現実に戻した。自分の真正面には、気遣わしげに自分の顔を覗き込むティルの顔がある。リーンは慌てて首を振った。
「あ、いえ、すみません。なんでもないんです」
「顔が赤いですよ?」
「え、やだ、本当に?」
 指摘されて、リーンは思わず自分のほっぺたを両手で触った。顔は相変わらず熱い。
「雨に少し濡れたから…熱でも出たのでしょうか」
 ティルは言いながら身を乗り出して、さりげない動作でリーンの額に手のひらを当てた。近づいたティルの顔と、剣のマメで硬い手のひらが触れる感覚に、リーンの心臓は跳ねあがった。
「少し熱いような…雨が止んだらすぐに帰って、休んだ方がよさそうですね」
「い、いえ! 大丈夫です!」
 ドキドキする心臓に耐え切れず、リーンは慌てて身を離した。はやる心を抑えようとうつむいたが、ティルの不思議そうな、しかし心配そうな視線ははっきりと感じ取れた。
 二人の間に、不自然な静寂が流れた。
「はい、お待たせしました」
 黙りこくっていた二人の前に、マスターが淹れたての紅茶を置いた。ふわりと立ち上った湯気から、ほのかにベルガモットの香りがした。
「ごゆっくりどうぞ」
 マスターがカウンターに戻ってから、二人は紅茶のカップを手に取った。
「…いい香りですね」
 紅茶のよい香りと温かさに落ち着きを取り戻したリーンがそう呟くと、ティルもほっとしたような笑みを浮かべてうなづいた。
「最近、ずっと遠方の依頼続きで休む暇がなかったですからね……こんなにゆっくりするのは久しぶりです」
 怒涛のひと月を思い返しながら、リーンは緩慢な動作でうなづいた。依頼による遠方への旅の途中、何かと危険な目に遭うことも多かった。宿に帰って来て初めて、どれだけ自分が緊張し、消耗していたかがいつも分かる。
 リーンはそっと目を閉じて、窓越しに聞こえる雨音に耳を傾けた。
 死の危険もなく。自分の特殊な能力も気にせず。こうして静かに、大切な人と、ゆっくりとお茶を飲む。
 ただ、それだけのこと。
 ただそれだけのことを、リーンはとても幸せに感じ、今この時があることに感謝した。
「……ティル」
 名前を呼びながら目を開けると、優しく穏やかなパープルの瞳と目が合った。ティルは穏やかな表情で小首を傾げた。自然と頬が緩む。
「ありがとうございます」
「どうしたんです、急に」
「ふふ、何でもないんです」
 急に礼を言われて戸惑っているティルに笑って、リーンは温かな紅茶を一口すすった。


 * * *


「ただいま戻りました」
 ようやく雨が止んで二人が赤昇亭に戻ると、いつも座る六人掛けのテーブルに、魔術師の少年サーク・ハルスバードが一人で腰かけて本を読んでいた。サークは本から顔を上げると、二人の姿を見て乱暴に本を閉じた。
「おかえり。ずいぶん遅かったじゃんか」
 小さな体を椅子の上でくるりと回転させて二人に向き直ったサークに、ティルが荷物をテーブルに下ろしながらすまなそうに微笑んだ。
「途中で雨に降られてしまいまして」
「ふーん、ま、いいけど。あ、俺の本は?」
「はい、どうぞ」
 ティルの隣に荷物を下ろしたリーンが、紙の包みをサークに渡した。サークは包みを開けて中身を確認すると、満足そうにひとつうなづいた。
「ん、確かに。サンキュ」
「他のみんなは?」
「上でまだ荷造りしてる。……何、その箱」
 さりげなくテーブルの上に置かれた白い紙箱に目をとめて、サークが胡乱げに眉をひそめた。その表情に、ティルとリーンは顔を見合わせて、くすりと笑いあう。
「お土産ですよ。みんなを呼んで来ますね」
「マスター、紅茶を淹れていただけませんか? あと、お皿とフォークも」
 ティルが他のメンバーを呼びに二階へ上がって行き、リーンはカウンターの奥の部屋にいるマスターを呼んだ。サークはそんな二人を無言で見ていたが、うきうきとお皿を受け取ったリーンに尋ねた。
「…お前ら、なんかあったの?」
「ふふ、何もないですけど…ちょっとだけ、雨に感謝ですね」
「は?」
 サークがますます仏頂面で聞き返したが、リーンは満面の笑みだけ返して、お皿をテーブルに並べ始めた。

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