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■白鹿亭外伝―赤昇亭の冒険者―■ □夜風に乗せて side-A□

 穏やかな月明かりが照らす、ラルード東郊外の森林公園。人気のない公園は静かで、涼やかな風が木々の葉を揺らす音だけが聞こえた。
 公園の散歩道を一人で歩きながら、リーン・アスラ・メルヴィは思わずため息をついた。
「はぁ……わたしとしたことが、少し飲みすぎましたね……」
 酔いが醒めるにつれ痛み始めた頭を軽く押さえながら、彼女はそうひとりごちた。月明かりが淡く反射する白い長髪をかきあげ、彼女はもう一度息をつく。
 彼女は冒険者だ。冒険者といっても、各地を放浪して歩くような“ワタリ”ではなく、宿に所属し、依頼によって各地に赴く“ルト”と呼ばれる冒険者である。彼女はこの近くにある宿、赤昇亭に籍をおく【紫雲の衣】というパーティの一員だった。
 先日ちょっとした依頼を終え、今日の夕方宿に帰還した【紫雲の衣】は、帰り着くなり早速仲間同士で酒を酌み交わし、ささやかな宴会を催した。
 元よりそんなに酒が得意ではないリーンは、仲間たちが談笑し、今回の冒険について語らっている隙を見て、こっそり宿を抜け出した。酔い醒ましがてら辺りを散歩しようと思ったのだ。
 あまり遅くなってしまったら、自分がいないことに誰かが気付いて、要らぬ心配をかけてしまうかもしれない。十分ほど散歩道を進んだ彼女は、そろそろ宿に引き返そうかと、前方の別れ道を宿の方へ曲がろうとした。
 しかし、なにやら反対側の道が騒がしい。不審に思った彼女が耳を澄ますと、この時間帯には不釣り合いな子どもの声が聞こえた。
「…えして、返してよっ!」
 子どもの切羽詰まったような声に、リーンは騒ぎの方へ足早に向かった。わずかな灯りに照らされた夜道に目を凝らすと、バンダナをつけた三人の男と、そのうちの一人にしがみつく子どもの姿が見えた。
「うるせぇな、ぶっとばすぞこのガキ!」
 男がしがみついていた子どもの胸倉を掴んで持ち上げたのを見て、リーンは男たちに走り寄りながら怒鳴った。
「その子を離しなさいっ!」
 同時に、男に向かって強く念じる。

 ――吹っ飛べ!

「うわっ!?」
 子供を掴んだ男の隣にいた別の男が、突然茂みに吹っ飛ばされた。
「なんだ、魔術か!?」
「くそっ、ずらかるぞ!」
 掴んでいた子供を放り出すと、男たちはふらつく男を抱えて一目散に逃げ出した。
 夜の公園に静寂が戻り、リーンはひとつ息をついた。それから、男たちの去った方向を茫然と見ていた子供に、そっと手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
 子供はびくりと肩を震わせると、恐る恐るといった様子でリーンを見上げた。
 黒い、耳を覆うくらいの長さの髪に、まだあどけない黒い瞳。黒と深い紫を基調としたほとんど露出のないローブは、少し土で汚れてしまっている。
 彼女を警戒するように見つめた子供に、リーンは柔らかく微笑みかけた。
「ごめんなさい、びっくりしましたか? わたしはリーン。“ルト”です」
「…ぼうけんしゃ」
 子供は驚いたように目を丸くしてリーンを見つめた。
「そう、【紫雲の衣】というパーティを組んでいます。……それより」
 子供が立ち上がるのに手を貸してから、リーンは子供をまっすぐに見つめた。
「どうしてこんな時間に、ひとりで公園なんかにいるんです。もう分かったと思いますが、夜のラルードは安全とは言えません。ご家族が心配しますよ」
 リーンがやんわりと叱ると、子供は神妙な顔で俯いてしまった。もしかしたら何かまずいところに触れてしまったろうか。
「…ご両親とケンカでもしたんですか?」
 思いついたことを尋ねてみたが、子供は首を横に振った。
「いない」
 子供は一言そう言った。いない、のは…両親だろうか。そうだとすれば、とんでもない失言だ。
「それは、ごめんなさい……無神経なことを言いました」
 リーンが自分の失言を悔いると、子供は慌ててまた首を横に振った。
「でも、ヤンダさんとレイアさんがいるから」
 その二人の名前は、この子を拾った人のものだろうか。何にせよ帰る家はあるらしいとわかって、リーンはほっとした。
「そうですか、それならよかった。ケンカをしたのでないなら、お二人に心配をかけないうちに家に帰りましょう。送っていきます」
 リーンの申し出に、子供は黙って俯いた。リーンが窺うように顔を覗き込もうとすると、子供は俯いたまま首を横に振った。
「家に帰りたくないのですか?」
 子供の考えていることを何とか引き出そうとリーンが質問すると、子供は男たちが去ったほうをきっと睨みつけて、小さな声で呟いた。
「取り返す」
「え?」
「大切なもの。取られたから」
 先ほど男たちにからまれたときに、何かを取り上げられたのか。
 子供は頑なに夜道の先を見つめていた。よほど大切なものだったのだろうか。リーンが何を言っても聞きそうにない。そういう目をしていた。
「……はぁ」
 リーンはため息をついた。まぁ、どうせ仲間たちはみんな酔いつぶれて寝てしまうだろう。朝までに終わらせれば大丈夫。
「わかりました、手伝いますよ」
 リーンがそう言うと、子供は驚きもあらわに振り返った。よほど予想外の言葉だったらしい。子供はわたわたと手を前に突き出して拒絶した。
「そ、そんな、だめ。悪い」
「子供ひとりで行かせるほうがダメですよ。なーに、ちょうどいい酔い醒ましです。ぱぱっとやっつけて大切なもの、取り返しましょう。ね?」
 リーンが笑ってそう言うと、子供はぎゅっとローブを掴んで俯いた。
「……ありがとう」
 リーンは笑顔で応えてから立ち上がった。まずは、やつらの特徴を元に聞き込みをして、棲み家を見つけなければならない。
 子供に呼びかけようとして、リーンはまだ、子供の名前を聞いていないことに気付いた。
「そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたね」
「……クロ」
 風に溶けるような声で小さく告げたクロに、リーンはにっこりと笑い返した。
「クロ、ですか。いい名前ですね」
「ホント?」
 リーンの言葉に、クロがうつむけていた顔をぱっとあげた。首肯すると、クロはほほを微かに上気させながら、はじめて嬉しそうな顔を見せた。
 つられて笑ってから、リーンはクロに手を差し伸べた。
「さ、まずはやつらの居場所を探しましょう。行きますよ、クロ」
 クロはわずかなためらいの後、力強くうなづくと、その小さな手でリーンの手を取った。

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