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■夏祭り■  □side-C□

 石段を上り切った先には、人気のない小さな神社があった。僕は神社の石段に腰を下ろして、眼下に広がる街の明かりを眺めた。
『わたし、この場所大好き。街がとても綺麗に見えるんだもの』
 彼女はそう言って、この場所に来るのを毎年楽しみにしていた。彼女が好きだった景色をぼんやりと眺めながら、僕はふと、今日はやけに彼女のことを思い出すな、と思った。
「何してるの、おじさん」
 どれほどそうしていたのだろう。背後から高く澄んだ声が聞こえて、僕は驚いて振り返った。歳は中学に上がるか上がらないかぐらいだろう。黒い髪を結いあげた、まだあどけない顔の少女が、柱の陰からひょっこりと顔を覗かせていた。着ている浴衣は紺色のようだが、柄は闇にまぎれてよく見えない。
「何してるの、おじさん」
 少女は同じ質問を繰り返した。僕は我に返ると、少女の言葉に顔をしかめた。
「……まだ、高校生なんだけど」
「そう。じゃあお兄さんね」
 少女はあっさりと僕の言葉を受け流して隣まで歩いてくると、断りもせず横に腰かけた。
「それで、こんなところで一人で何をしてるの、お兄さん」
 いたずらっぽく口の端をつり上げた少女に、僕は正直に答えた。
「散歩ついでに、何となく」
 すると少女はふーん、と気のない返事をして足をぶらつかせた。時折下駄が石段にぶつかってカランと音を立てる。少女はそうしながら僕の方をじっと見ていたが、傍らに置かれたヨーヨーに気がつくと、僕を見上げた。
「それ、お兄さんのヨーヨー?」
「よかったらあげるよ」
「ほんと?」
 目を輝かせた少女に僕はうなづいて、水色のヨーヨーを差し出した。
「やったぁ! わたし、ヨーヨー好きなのよね」
 嬉々としてヨーヨーを受け取った少女は、ゴムの輪っかをほっそりとした中指にはめて、ばしんばしんとつき始めた。僕が黙って見ていると、少女はヨーヨーをつきながら、そのリズムに合わせて鼻歌を歌いだす。聞き覚えのある優しい旋律に、あの日の彼女と少女が重なって見えて、僕は目を見開いた。
「どう、面白いでしょ? ……どうしたの、お兄さん」
 少女は得意げに振り向いたが、そのままいぶかしげに僕の顔を覗き込んだ。はっと我に返った僕は、ゆっくりと首を振った。
「何でもない。その……彼女がやってたヨーヨーの遊び方と一緒だったからびっくりして」
「ふーん、そうなんだ。わたしはおばあちゃんに教えてもらったんだけど、他にもこの遊び方を知ってる人がいるなんて驚いたわ」
 何気ない少女の言葉で、僕は彼女も、祖母に遊び方を教わった、と言っていたのを思い出した。僕がそのことを言うと、少女はおかしそうに笑って、
「それは、面白い偶然もあるものね」
と言った。僕もまったくだ、と笑い返した。
「ねぇ、その彼女って、お付き合いしてる人なの?」
 少女がいたずらめいた上目づかいで僕にたずねた。
「そんなんじゃないよ、ただの幼馴染さ」
 僕がそう返すと、少女はやけに納得した顔でうなづいて、好奇心を抑えつけたような、わざとそっけない声で僕に言った。
「その人のこと、お兄さんは好きだったの?」
「そうだなぁ……」
 僕は言葉を濁すと、彼女のことを思い出そうとした。結いあげた黒髪、歳の割には大人びた口調、落ち着いた声音。意外と頑固な一面や、歳相応のあどけない笑顔。
「…よく、わからないな。僕が君くらいの時にいなくなっちゃったから」
 結局、僕はそう答えてごまかした。
「いなくなっちゃったって……もしかして、死んじゃったの?」
 ためらいがちに少女がそう聞いてきたので、僕はゆっくりと頭を横に振った。
「それもわからない。気がついたら、家族全員いなくなってた」
 そう言ってから、僕は思い直した。先週彼女から絵ハガキが届いたのだから、少なくとも生きてはいるのだろう、と。
 少女は膝を抱え込むと、その間に顔をうずめるようにして目を伏せた。
「そっか……大丈夫よ、お兄さん。きっとまた会えるわ」
 少女の言葉には全く根拠なんてなかったが、僕はそれでもほんの少し期待を抱くことができた。僕が少女にお礼を言うと、少女は何でもない、と笑いながら手をひらひらと振った。
 再び、静寂が神社を満たした。目の前に広がる街の明かりがなんだか遠く見える。僕は、世界がこのまま夏の空気にまぎれてどこかに行ってしまうんじゃないか、なんてことをうっすらと考えた。

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