■神様と過ごした三日間■ □side-C□
祭り最終日。ふもとの屋台は夕方前の早い時間にも関わらず、かなりの賑わいを見せていた。
そんな祭りの喧騒を背に、ユタカは石段を重い足取りで登っていた。昨日、クグノは逃げ出した自分をどう思っただろうか。怒ってるかもしれない。
やはり帰ろうかなと悩んでいるうちに、神社の赤い鳥居が見えてしまった。ここまで来たんだからと、ユタカは仕方なく鳥居をくぐった。
拝殿には昨日のように、クグノが一人で座っていた。クグノが顔を上げかけたので、ユタカは思わずそばの狛犬に身を隠した。
どうしよう、やっぱり帰ればよかった。後悔がぐるぐると頭の中を回るがもう遅い。
ユタカが出ていくタイミングを見計らってゆっくりと深呼吸した時、足元の狛犬の影がぬっと伸びた。
「何してんの?」
「うわっ!」
背後から急に声をかけられて、ユタカは思わず飛び上がった。振り返ると、クグノが普段通りの表情でそこに立っていた。
驚きと緊張に波打つ心臓をおさめながら、ユタカはクグノを見上げた。
「あの、昨日のっ…」
「昨日の?」
平然と聞き返したクグノに、ユタカは口をつぐんだが、視線をさまよわせてようやく声をしぼり出した。
「……ノート、返して」
「あぁ、あれ? いらないんじゃなかったの?」
意地悪くそう言ったクグノをユタカは無言で睨みつけた。その様子を見て、クグノがひらひらと手を振った。
「冗談だよ。ちゃんととってあるから安心して」
そのまま歩き出すクグノのあとについて拝殿の前まで歩いた。無造作に石段に置いてあったノートを手にとって、クグノはユタカに差し出した。
「はい、これ」
受け取ったユタカはごにょごにょと口の中で礼を言って、しばらくもじもじと視線をさまよわせていたが、やがてためらいがちにたずねた。
「クグノって、神様なんだよね」
「うん」
「おれの話……聴いてくれる?」
上目づかいでおずおずとたずねたユタカの目をまっすぐに見据えて、クグノがうなづいた。ユタカは幾分か落ち着いて、静かに話し始める。
「このノートね、見られたくなかったんだ。だから、あまり人が来ないここならいいかなと思って埋めに来たの」
「他にも埋めてあるの?」
クグノがたずねると、ユタカはゆっくりとうなづいた。
「それはクグノと会う前の日に埋めたんだ。でも、二日連続でぐちゃぐちゃにされちゃって」
「やったのは、やっぱり昨日の?」
うつむいてノートを胸に抱くユタカの表情でクグノにはわかったようだ。クグノは眉をひそめて、黙ったまま虚空を睨みつけていた。
秋の風が境内を吹き抜けていく。カサカサと木々が乾いた音を立てる中、ユタカがうつむけていた顔を上げた。
「あのね、お母さんがね、この間夜ご飯の時に聞いたの。『学校は楽しい?』って」
不自然に上がった声のトーンと泣き笑いのようなユタカの表情に、クグノは一瞬訝るような面持ちでユタカを見た。
「……なんて答えたの?」
「うん、って」
それはもちろん嘘だ。本当に楽しかったらこんなところまで、何度もボロボロのノートを埋めに来るわけはないのだから。
「お母さんがね、『そっか、ならいいの』って、笑うの」
「……それでいいの?」
クグノの問いに、ユタカはうなづいた。クグノは納得いかない顔で黙っていたが、おもむろに口を開いた。
「ひとつ、たとえ話をしてあげる」
そう言ったクグノの顔がいつになく真剣だったので、ユタカは唇をきゅっと結んだ。
「あるところに、母親と子どもが住んでた。父親はよくある話だけど、子どもが小さい時に離婚していなかった。母親は昼も夜も休みなく働いて、子どもを育てた。心配する子どもに母親は大丈夫だと言い続けたけど、子どもの方はそれで納得せずに、喧嘩をして家を飛び出した」
淡々と語るクグノの表情は静かだった。ユタカは一瞬、これはクグノの話なんじゃないかなと思ったが、クグノはすぐにいつものひょうひょうとした感じに戻ってしまった。
「ま、ぼくは神様だから人間のことはわからないけどね。その話の子供みたいに、何も言ってもらえなかったら、きっと心配すると思うな」
ユタカにも、クグノの話は理解できた。でももし正直に言ったら――ユタカは顔を曇らせた。
「言ったら…お母さん、笑ってくれないよ。おれ、それはやだよ……」
悲しむかもしれない。怒るかもしれない。どちらにせよ、きっと傷つくに違いない。
泣きそうな顔でユタカはうつむいた。
「たぶん、お母さん気づいてるよ」
クグノの言葉に、ユタカはびっくりして顔を上げた。クグノはユタカに柔らかく微笑みかけた。
「だって、母親じゃない。気付かないわけないよ。きっと、ユタカが自分から言ってくれるのを待ってるんじゃないかな」
「でも……」
まごつくユタカに、クグノは首をかしげた。
「お母さんのこと、信じてないの?」
「そんなことないっ」
ユタカはかっとしてクグノの方を向いたが、クグノの笑顔に思わず面食らった。
笑顔のまま、クグノが穏やかに続けた。
「じゃあ、本当のことを言えばいいよ。きっと信じてくれる。ユタカが本当に笑えるようになったら、お母さんも本当に笑ってくれるよ」
ユタカは目がじんとするのを感じた。
「……そうかな」
もし本当にそうだったらいいな、と期待を込めて呟くと、クグノがわざとらしくにやりと笑った。
「ぼく、神様だよ? ちょっとぐらい信用してよ」
冗談みたいにそう言ったクグノに、ユタカは思わず吹き出すと、笑ってうなづいた。
夕方四時を告げるサイレンが鳴って、ユタカは腰かけていた拝殿の石段から立ち上がった。
「今日、帰ったらちょっと頑張ってみる。話せるかはわかんないけど……心配してることも、言わなきゃわかんないもんね。ありがとクグノ」
素直な笑顔を浮かべたユタカに、クグノも笑顔を返した。ユタカは少しためらうように、石段に立つクグノを見上げた。
「……明日もいる?」
「今日でお祭りは終わりでしょ? ぼくも、もう帰らなくちゃ」
穏やかにそう言ったクグノに、ユタカは、クグノにも帰る家があるんだな、と思った。
「じゃあ、来年もまた会えるよね」
返事を期待してそう言ったが、クグノは曖昧に微笑むだけだった。返事をもらえなかったのは残念だが、その分、ユタカは来年まで期待することにした。
「それじゃ、バイバイ、クグノ」
「うん、さよならユタカ」
クグノに大きく手を振って、ユタカは名残惜しさを振り払うと、鳥居の方へ振り返らずに走っていった。
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