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■Selenite episode1〜HARUNIRE〜■ □side-C□

「この木は、私が物心付いた時からずっと一緒だったの」
 先ほどより落ち着いたのか、女の子は泣いて腫れぼったくなった目を擦って、ぽつりぽつりと話し始めた。流琉は黙ってそれを聞き、ヴィニは女の子の持ってきたバスケットに盛んに手を伸ばしている。
「なんていう木かは知らないし、そんなことはどうでもいい。私はこの木が好きなの」
 それは分かった。だが、それだけだと何故泣くのかが分からない。
 流琉が無言で先を促すと、女の子はまた潤み出す瞳をきゅっと細めた。
「でもね、でも、今日、お母さんが……
『あの木はもう居なくなっちゃうんだよ』って言ったの…
どういうことかわかんなくて、近所のおばさんに聞いたら、『ここに教会が建つんだよ』って。木はどうなるのって聞いたら、『なくなっちゃうんじゃないの』って……
私、じっとしてられなくてっ……」
 そして、瞳から涙がこぼれ落ちる。
「で、来てみたらお兄ちゃんたちがいて…」
 話の衝撃があまりにも辛くて、思わず泣いてしまったというわけか。
 反応に窮して流琉が黙っていると、女の子は涙をぬぐって、真摯な眼差しを二人に向ける。
「そりゃ、他の人から見たら、とてもくだらなく思えるよね。他の人にとってはただの木だもん…でも、私にとっては、この木はたった一人の、とても大切な『友達』なの…」
「…うん、そうだな。分かるよ」
 流琉はそれだけ言うと、横にしゃがむヴィニを見た。ヴィニはもごもごやっていた苺をごくりと飲みこんでから、かくりと首をかしげる。
「あなたはどしたいの?」
 ヴィニの問いかけはストレートだったが、心の根本に問い掛ける問いだった。
 この木がなくなってしまうのは聞いた。そしてこの木が、女の子にとっては何物にも変え難いほど大切である事も。
 今の流琉たちを動かすのに必要なのは、心だ。心から望む願いがなければ、流琉達は動けない。この女の子が望む。願う。それが、必要なのだ。
 女の子は硬く口を結んでいたが、言いたいことを纏めたのか、強い光を灯した瞳を上げた。心の底からの望み。嘘偽りの無い、切なる願い。
「私、この木とずっと一緒にいたい。私はそうしたい」
 流琉はヴィニと顔を見合わせた。曖昧な望みだ。一緒にいる。簡単なようで難しい。
 流琉が無表情で考えていると、女の子の表情も心配げに沈んでいく。ヴィニは相変らず、もごもごと苺を食している。
 ふっと、曇っていた流琉の表情が、何かを思いついて晴れ渡った。
「出来る」
 この言葉に、女の子が弾けるように顔を上げ、ヴィニは両手を挙げて歓声を上げた。
「ほ、ホントに…?」
「流石シンルー!」
 女の子に頷いて、流琉は無表情のまま繰り返す。
「多分出来る。でも、君の望み通りかどうか分からない」
 流琉は念を押したが、女の子の眼差しは断る色では無い。流琉はそれを確認して、持っていた鞄の中をごそごそと漁った。中から、クリップボードに挟まれた紙とボールペンを取り出す。
「えっと…依頼の品は……」
 一つ一つ呟きながら、カリカリと自分でその紙に記入していく。必要な箇所を記入して、ボードをくるりと少女に向けた。
「ここ読んで、名前記入して」
 ボードを受け取って、女の子は指定された所を読み始める。だが書いてあることが難しく良く分からなかったので、名前を記入する場所に拙い字で「佐倉春奈」と記入した。
「えっと…サクラハルナ…さん?」
「うん」
「じゃあ、これで契約終了だから。代金はここに書いたとおり――」
 その時、丁度タイミングよく代金が書かれた紙の上に、雨雫が落ちた。水性ボールペンで書かれた文字が滲んで、読み取れなくなる。
「――分からなくなったからいらない」
「え?」
 でもそれじゃ、仕事にならないでは無いか。春奈が困惑した顔で流琉を見つめると、しゃがんでいた流琉は立ち上がって空を見上げた。
「雨、止んだな」
「え、あ、うん」
「じゃあ、二日後にまた来る。ヴィニ」
「あいさー」
 同じくしゃがんでいたヴィニが、流琉に答えて立ち上がる。その手にはまだ苺を持っていた。
「…いちごも貰ったし、代金はそれで」
「え、でも、それじゃあ…」
「いいんだ。じゃあ、二日後に」
 そういい残して、流琉はさっさと木の下から出て行く。困惑した春奈がヴィニに視線を移すと、ヴィニはにっこりと笑って言った。
「だいじょーぶ、おまかせあられー」
「え?」
 後をついてこないヴィニに気が付いて、先を行く流琉が足を止めてヴィニを呼んだ。ヴィニはそれに答えると、
「ばいばい、るなちゃん」
「る、るな?」
 にこやかに手を振って、鈴を鳴らしながら流琉の所に駆けていく。
 一人木の下に残された春奈は、目をつむって、木の葉の合間の青い空を仰いだ。

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