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■Episode-Halloween at 2011■ □side-A□

 十月も終わりを迎えようとしていた、とある秋の日のことだ。通っている高校の都合でいつもより授業が早く終わった神崎流琉(かんざきながる)は、昼下がりの商店街をバイト先へと向かっているところだった。
 見事な秋晴れの空の下、商店街にはのんびりとした時間が流れていた。早めに夕食の買い出しに来た中年の女性は肉屋の店主と立ち話をし、幼稚園帰りの子供を連れた若い主婦は子供の手を引きながら、まだ幼い子供が舌足らずな言葉で、しきりに今日の出来事を喋るのを穏やかな笑顔で聞いていた。
 流琉はなんとなく、自分がこの場所にそぐわない気がして足を早めた。茶色く脱色された髪と生まれつき吊りあがった黒い眼は、睨みつけているわけではないのだが、よく怖がられたり因縁をつけられることがあった。加えて、左耳にはシルバーのイヤーカーフをはめており、服は下校中なので黒い学ランのままだ。最近は寒くなってきたので、首にはからし色と茶色のチェック柄マフラーを巻いていた。一見不良のように見える高校生が昼下がりにたった一人で商店街をうろついているのは、傍から見ると印象が悪いに違いない。商店街の先にある目的地に向けて、流琉はマフラーを口元まで引き上げると、足早に商店街を通り抜けた。
 商店街を抜け住宅街にたどり着くと、幾分かほっとして流琉は歩調を緩めた。連なる家々の塀からのぞく木々の枝は既に葉を落とし、寂しく風に揺れていた。コンクリートを突き破って生えていた雑草もすっかり色を失くし、冬を待っているようにも見える。道中目に入るものを何気なく観察しながら数分路地を進んだ流琉は、ようやく目的の場所にたどり着いた。
 住宅と住宅の間にある、寂れた建物だった。長い年月を経て今にも崩れそうなコンクリートブロックの門。庭の雑草はすっかり秋の色を呈しており、奥の建物は雨と泥に汚れ、なんとなく薄暗い雰囲気を醸し出していた。門前にある所々錆びた鉄の看板には、「よろづ診断承ります。イセヤクリニック」と書かれていた。
 何度見ても胡散臭い場所だと、流琉は改めて思った。ここに通いはじめて一年になるが、未だに分からないことはたくさんある。そもそも患者などいるのだろうか。少なくとも流琉は、ここの主が患者を診察している場面に一度も遭遇したことがなかった。
 いぶかしげに首をひねりながら流琉は病院のドアを開けた。そして受付の方に目をやったとたん、いつもと違う光景にぎょっとして足を止めた。
「あら、シンルくん。今日は早かったのねぇ」
 そこにいたのは、病院の受付嬢である菅原早希(すがわらさき)だ。入ってきた流琉を見てのほほんとほほ笑んだ彼女は、いつもの清潔な白衣姿ではなかった。
「サキさん……服が」
 今日の早希は黒い細身のワンピースの上に、短い黒マントをはおっていた。時折裏地の赤がちらりと覗いて、彼女の白い肌が際立って見えた。戸惑う流琉に、早希は赤いルージュを引いた唇をきゅっと吊りあげて、いたずらっぽく笑いかけた。
「うふ、シンルくんの血をいただいちゃおうかしら」
「……冗談になってません」
 思わず顔をひきつらせた流琉に、早希は面白そうに笑い声をあげた。が、細められたその眼は決して笑ってはいない。
 瞬時に逃走手段を模索した流琉を救ったのは、奥の診察室から飛び出してきた小さな黒い影だった。
「シンルーっ!!」
 体当たりするように流琉の足に抱きついたのは、ここの主が預かっている外国人の女の子、ヴィニ・シェパルドだ。砂色のくるくるした髪を、今日は先端に鈴が付いた黒いリボンで結っていた。服装もいつものワイシャツにリボン、ふわっとした黒いスカートではなく、黒い長袖のワンピースを着て、何故か片手に竹ぼうきを持っている。その姿はいかにも。
「……魔女?」
「トリケラトプスー!」
 突然出てきた草食恐竜の名前に、流琉は余計に困惑した。魔女と恐竜に一体なんの関係があるのだろうと考えていると、診察室からよく通る声が応えた。
「トリケラトプスじゃなくて、トリック・オア・トリートだ。ヴィニ」
 診察室から出てきた病院の主、伊勢谷千鶴(いせやちづる)は、歳よりはるかに幼く見える顔に穏やかな笑みを浮かべながら、ヴィニにお化けかぼちゃのかごを渡した。
 肩まである髪は本人曰く銀色、黒い瞳は若干の赤みを帯びている。背は高く痩せており、彼だけはいつもと同じくワインレッドのワイシャツによれよれの白衣を身に着けていた。
 この病院と一緒で彼も胡散臭いと、いつもいつも流琉は思う。その思いを見透かしたかのように、千鶴の視線がヴィニからついと流琉に向いた。
「やぁ、シンル。やけに早いな。もしかして学校はサボりかい?」
「床のワックスがけで早く終わっただけです」
「そうか。見た目通り不良になってしまったのかと一瞬心配したよ」
 言いながらつるりとした顎をさすった千鶴の白衣の裾を、ヴィニが二、三度引っ張った。
「ちーちゃん、トリコアトリコ?」
「トリック・オア・トリート。お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、という意味だ」
「トリコアトリト!」
 千鶴の言葉を真似ながら、ヴィニは流琉に飛びついた。その言葉でようやく、流琉は今日が何の日だったかを思い出した。
「ハロウィンですか」
「面白いかと思ってね。書類を取ってくるよ」
 軽やかにそう言って、千鶴は診察室に戻っていった。取り残された流琉に、ヴィニが催促するように飛びかかってはこぶしで身体を叩いた。
「シンルー、トリコアトリト!」
「えーと」
「トリコアトリト!」
 普段お菓子を持ち歩く習慣がない流琉はすっかり困り果てた。とうとう背中によじ登りはじめたヴィニに、流琉は慌ててポケットの中を探った。
「あ」
 指先に何かが当たったので、流琉はそれを取りだした。出てきたのは、学校でもらった飴玉だ。
「きゃでぃー!」
 ぱっと顔を輝かせて、ヴィニが飴玉をかっさらっていった。止める間もなく包み紙をはがして、ぽんと口に放り込んでしまう。
「あー……」
 ころころと口の中で飴玉を転がすヴィニを見ながら、流琉は飴玉をもらった経緯をぼうっと思い返した。

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