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■File:EX 大嫌いな雨の日に■ □side-A□

 夕方から突然降り始めた大雨のせいで、櫻井雛子は憂鬱な気分だった。
 雛子は雨が嫌いだ。特に、雨の中外を歩くのは。傘を差しても足下は濡れるし、下手をすれば鞄も濡れてしまう。湿気のせいでごわつく髪はうまくまとまらないし、雨音は連続していて止むことがなく、何となく雛子をいらついた気分にさせるのだった。
 幸い彼女は、今念のため手に持っている傘を差して外を歩かずともよい身分にある。だが、人生においての何度かの経験と、たくましく膨らませた想像が彼女をおっくうな気分にさせるのだった。
 ともあれ放課後、雛子はその日の部活を休んで、夜に控える用事のために帰途につこうとしていた。
 彼女の家は多角経営で成功した天下の櫻井グループである。正確にはグループのトップが彼女の父親であり、彼女も櫻井グループのいくつかの子会社に対して、高校生ながらもそれなりの権限を与えられていた。今日は、その子会社が主催する社交パーティへ招かれている。雛子は行きたくない気持ちを我慢して、義務でそれに出席するのだ。
 容易に想像がつく様々な面倒ごとにため息をついて、雛子は生徒玄関の前に停車していた迎えの車に乗り込んだ。
 走り出してものの数分もしないうちだ。雛子は校門に向かう道のりの間に、見慣れた後ろ姿を見つけた。
「止めてちょうだい」
 運転手に声をかけ、雛子は車の窓を開けた。
「トキ」
 鞄で雨をしのぎながら歩いていたのは、部活の仲間である羽柴時鳴だった。時鳴は雛子の声についと車の方を向いた。
「何してるんですの、傘も差さずに」
「……雨が降ると聞いてなかったのでな」
 要するに傘を忘れてきたらしい。雛子は車のドアに手をかけた。
「帰るなら乗ってお行きなさい。濡れると風邪を引きますわ」
 雛子の申し出に、時鳴はちらりと運転手をみやった。その運転手の表情から何を察したのか、時鳴はやんわりと首を左右に振った。
「問題ない。歩いて帰れる」
「では、せめて傘を…」
 これにも時鳴は首を振った。軽く一礼して、先に歩き始めてしまう。
 せっかく親切にしてやったのに、一体なんという態度なのか。雛子は雨の中を歩く時鳴の背中を見ながら、いらいらにも似た感情を押さえつけようとした。
「雛子様、車を出しますよ」
 運転手がそう雛子に声をかけ、サイドブレーキに手をかけた時だ。
「……待って」
 雛子は一言運転手に告げると、車のドアを開け、傘を差して外に出た。
「雛子様!?」
「トキ、待ちなさい」
 運転手の声にも振り向かず、雛子は足下の水たまりをよけながら先を歩く時鳴に追いついた。雛子は驚いて立ち止まった時鳴に傘を半分差しかけた。
「ヒナ殿…」
「雛子様、車にお乗りください!」
 運転手が二人の横に車をつけ、必死に雛子に呼びかける。雛子は運転手に向けて意地悪な笑みを浮かべた。
「あら、お友達が濡れて帰るのを見過ごしては、櫻井家の威信に関わりますわ」
 そして時鳴にずいと傘を差し出す。
「ほら、いつまでレディに持たせるつもりですの」
「ヒナ殿。拙者のことは気にしなくとも…」
「トキ、「おじさんの傘」という童話はご存じ?」
 ふと雛子が思い出して尋ねると、時鳴は目をぱちくりとさせた。知らないのだろうか。
 雛子の記憶では、小学校の時国語の授業で読んだはずだった。内容については、雛子も、傘を差したことのないおじさんが雨の日にはじめて傘を差して、はしゃぐような話だったという程度にしか記憶にない。ただ、そのおじさんがひどく楽しそうだったことは覚えていた。
「私もね、あのおじさんみたいに傘を差して歩きたい時もあるんですのよ」
 ほら、早くお持ちになって。と、時鳴にもう一度傘の柄を差し出す。時鳴はちらと不安げに運転手を見やったが、一度言い出したら聞かない雛子に折れて、傘を持つのを代わった。
「さ、早くゆきますわよ。あなたの家はどちらですの?」
 時鳴が校門の左を指し示した。しとしと降る雨の中を、二人は並んで歩き始めた。

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