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■File:EX 誰がために鐘は鳴る■ □作:野田乃音様□

「美味しい紅茶ですわね」
 時刻は昼下がり。場所は一目で上等な物だとわかる家具に囲まれたリビング。集まっている少女たちのひとりが持参した、今年の初物だという高名な百貨店に軒を連ねる専門店の茶葉に、他の少女たちの褒め言葉が並ぶ。
「評判にたがわず、とても美味しいですわ。さすがは綾子様です」
 櫻井雛子もまた、やわらかな言葉で相手を褒め、同時に自分の見識の広さをさりげなく主張する。雛子はいわゆる財閥のご令嬢である。そのため、このような付き合いに自宅の居心地の居心地のいい空間を提供する時もある。
 集まる顔ぶれは、月に一度開催される、父方の親族が開催する歌詠会の同年代の少女たちだった。別に歌詠会や彼女たちが苦手なわけではない。でも、一言一言が櫻井の名前を傷つける可能性を含むことを考えると、さすがの雛子も僅かな憂鬱を感じないわけではない。
 そっと内心で吐息をもらした時、時計が三時を打った。まろやかで古風な鐘の音が、リビングに響く。
「あら、三時ですか?」
 少女のひとりが不思議そうに言う。菓子と紅茶が運ばれてから時間が経っている。その隣にいた少女が腕にはめていた海外ブランドの時計を確認し、おっとりと「今は三時を過ぎているのではないですか?」と雛子に問いかけた。
 雛子も、時計を確認する。針はぴくりとも動いていない。
「あら、ねじが切れてしまったのですね」
 雛子は立ち上がると、引き出しのひとつを開けて中から時計のねじを取り出した。時計の音にふさわしい古風なものだった。
「ねじ巻きの時計は、とても珍しい物ですね」
 そう言われてもおかしくはない。上等な物ばかりが並ぶリビングで、その時計はとりわけ古く、また統一された周囲の家具からは少し浮いていた。
 真鍮の針が使われた、本当に古い時計だった。これだけの古さでもまだ動くのは当時とても上等なものだったことの証左といえるが。このデジタルの時代に、振り子がついた音の鳴る時計は珍しいだろう。
「どこで購入されたのですか?」
 当たり障りのないアンティークショップの名前を出して、雛子はおっとりと微笑んだ。
 時計を選んだ本当の理由は、自分と彼だけが知っていればいい。


 確か、昨年のことだったと思う。
 放課後の部室に、その時は雛子と時鳴の二人だけだった。当時まだ部長と副部長ではなかった幸と考也は何かの用事で、まだ部室に顔を出していなかった。二人は特に会話も交わさず、時鳴は窓際で本を読み、雛子は宿題を広げていた。「自分の名前の漢字の意味を調べよう」というものだった。
「『櫻井雛子』というのは、難しい名前ですわね」
 シャーペンを置き、雛子は僅かに息をついた。
 この課題は書道の授業で出されたもので、判を彫る授業から派生したものだった。
「難しいのか?」
 本から顔を上げ、時鳴が問い返す。
 こくりと頷いた雛子に、時鳴は言い聞かせるように続けた。
「大切な両親からもらった名前を、そんな風に言うのはよくない」
「ええ、わかっていますわ」
 しかし、画数が多いため、判にするには手先の器用な雛子でも、他の友人達より少しばかり難易度が高くなってしまう。そこから出たため息だった。
「とてもいい名前ではないか。きっと生まれたばかりのヒナ殿が、鳥の雛のように可愛らしかったことの現れだろう」
 そう褒められて、雛子の頬が染まる。
 こんな風に言ってもらえるのならば、さっき疎ましくすら感じた名前がいとおしく思える。
「……時鳴という名前の意味はなんですの?」
 話題を続けたくてこんな言葉を返したら、時鳴は眉を寄せた。
「そういえば、調べたことはなかったな。語感ではないだろうか」
「時が鳴る。いい名前ですよね」
「そうだろうか」
 さっきと言っていることが違うので、今度は雛子が問い返す。時鳴は緩く首を振った。
「親がつけてくれた名前を否定はしない。だが、時は音を立てず過ぎ去るものだろう。それでおかしく感じたのだ」
「音を立てず?」
 もう一度問い返した雛子に、時鳴は微笑んだ。
「光陰矢の如しだ。こうしている時間すら、音を立てずあっという間に過ぎ去っている。拙者はそれを……少し、寂しく思う」
 その意味を問い返す暇はなかった。幸と考也が、にぎやかに部室に入ってきたから。
 ただ、雛子の心の中に、時は音を立てずに過ぎ去ると言った時鳴の言葉が残った。


 それから少しして、雛子はいきつけの骨董店でねじ巻き時計を買った。
 たまたま店を訪れた時に響いた鐘の音が、時鳴の言葉を思い出させてくれたから。両親に無理を言って、リビングに据えて貰った。週末に一週間分のねじを巻くのは、雛子の楽しみのひとつだ。
 時は、確かに音を立てないものだ。けれど、雛子は時は鳴ると思う。心に残る思い出が、あたたかな鼓動となって今の自分の胸を打つ。あの日、時鳴があっという間に過ぎ去ったと言った部室での時間は、雛子の大切な思い出のひとつだ。
 いつか、時鳴ともう一度、同じ話をしてみたいと思う。時鳴は覚えているだろうか。あの時彼が告げた、寂しさの理由は何だったのだろうか。
 その時のことを想像して、雛子は楽しげに微笑んだ。

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