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■雪柳はただ風に舞う■ □第一話〜それは雪の降る日に□

「雪だぁっ!」
 季節はずれの雪に感動して、蒼井風夏(あおいふうか)は窓から身を乗り出していた。山に囲まれた母の実家は、風夏が暮らす都会と違って、四季が色鮮やかに映し出される。三月の暖かい風は地に積もっていた雪を溶かして山の雪をも溶かそうとしていたが、今日は少しまた冬の空気が戻ってきたらしい。薄く雲の張った空からはさらさらと粉雪が舞い降りて、土色の地面をうっすらと覆っていた。
「お母さん、雪降ってるよ、雪!」
「あら、本当? この時期に珍しいわねぇ」
 風夏の嬉しそうな呼びかけにキッチンから顔を覗かせた風夏の母は、物珍しそうに窓の外を覗き込んだ。そして音も立てずに積もっていく雪を眺めながら、薄く微笑を浮かべる。
「前もこんなことがあったような……いつだったかしら」
 風夏は母の思案するような呟きにぴくりと体を強張らせたが、その様子に母が気づかないうちにくるりと身を翻した。
「わたし、散歩に行ってくる!」
「今から? もう少しで日が暮れるわよ?」
「大丈夫、ちょっとだけだから! 行ってきます!」
 心配するような母に笑顔でうなづいて、風夏はコートを羽織ると元気良く家を飛び出した。
 勢いに任せてしばらく走り、ふっと立ち止まると、雪と共に冷たい風が頬を撫でていった。風夏は一つ息をつくと、薄らと雪が積もった景色を楽しみながら歩き出した。


 気がつくと、すっかり村のはずれまで来てしまっていた。周りに民家はなく、雪の積もった畑と手のつけられていない野原、そして遠くにまだ白さの残る山が見えるだけである。
 風夏は立ち止まって深呼吸すると、もと来た道を戻ろうと踵を返した。が、途中視界に赤いものがちらりと映って、思わず視線を戻す。
 少し坂を下ったところの野原。その、細い枝だけの背の低い木の傍に、一人の少年が立っていた。視界に映ったのは彼のつけている赤いロングマフラーだったらしい。
 見たことのない人だ。一体こんな村はずれで何をしているんだろう?
 風夏は疑問に思って、ゆっくりと雪の積もった坂を下りた。雪を踏む音に気づいて、俯いていた少年がふっと顔を上げる。
 瞬間、風夏の心臓は跳ね上がった。
 雲の隙間から覗く太陽に照らされて、茶色く透き通る髪。長い前髪から覗くこげ茶色の瞳はまるで雪景色のように澄みきって、見るもの全てを吸い込んでしまいそうだ。雪色に映える赤いマフラーが、白に溶け込むロングコートと共に風になびく。
 風夏を視界に捕らえた彼の瞳が、軽く見開かれて波のように揺らいだ。その様子に、思わず見惚れていた風夏ははっと我に返り、慌てて口を開く。
「こ、こんにちはっ。こんなトコで何してるの?」
「……君こそ」
 少年は無表情のまま、ぽつりと返した。風夏はしどろもどろになりながら答える。
「え、えと、さ、散歩してて……」
「散歩?」
「そう、雪降ってたから嬉しくてつい」
 そう答えると、少年は一瞬、呆気にとられたように無言で風夏を見つめた後、ぷっと不意に噴き出した。抑えられていた笑い声は徐々に大きくなり、彼は声を上げて笑い出す。
 いきなり笑い出した彼を、風夏は呆然と見つめた。
「な、何? なんで笑うの?」
「や、だって、理由が小学生みたいで」
 なおも笑いの虫が収まらない彼は、笑いを堪えながらそう口にするのがやっとのようだ。
 そんな彼に対して、風夏は腰に手をあてながらぷっくりと頬をふくらませた。
「小学生だなんて失礼な! これでも列記とした中学生だよ!」
「それはそれは、失礼しました」
 からかうような彼の口調に、風夏は頬をいっぱいまで膨らませる。その仕草に彼はまた笑い、ごめんごめん、と目の端に浮かんだ涙をぬぐいながら謝った。
「そんな怒らないでよ。ほっぺがエサをほおばったリスみたいだよ」
「リスって……」
「可愛いじゃん。それでも怒るの?」
 自分の方が可愛らしく小首をかしげて言った少年に、風夏は思わず続く言葉を飲み込んだ。
「まぁ、リスがほっぺいっぱいにほおばってる姿はさすがに欲張りだなぁと思うケドね」
 何気なくそうつけ足されて、風夏はがくっと肩を落とした。すると少年は不思議そうに首をかしげる。
「あれ? 僕なんか変なこと言った?」
「……もういいよー」
 うなだれていた首を上げて、風夏は苦笑交じりに呟いた。初めて会った少年と、まさかこんな会話をすることになるとは。
 なんだかそう思うとおかしくなってきて、風夏はくすりと笑った。少年がまた、不思議そうな目で風夏を見る。
「何?」
「あはは、なんでもない!
 わたし、蒼井風夏。あなたは?」
 少年は二、三度瞬きをすると、少し間をおいてから口を開いた。
「雪晴。春日雪晴(かすがゆきはる)」
「雪晴…くん」
 風夏はぽつりと、名前を反芻した。何かが今、頭の奥でひっかかったような。
「初めまして。よろしく、風夏」
 雪晴がすっと右手を差し出した。頭の中のひっかかりは瞬時に消え、風夏は慌ててその手を握り返す。
「う、うん、よろしくね!」
 どぎまぎしながら風夏がそう返すと、雪晴は淡く微笑んだ。今にも溶けて消えてしまいそうなその微笑みに、風夏は一瞬どきっとする。
「どうかした?」
「な、なんでもないっ! ……あ」
 気づけばもう空は赤く染まっていた。雲も、山々に積もった雪も、一面夕焼け色に染まっている。
「綺麗だね」
 隣で雪晴が呟いた。風夏は感動のあまり言葉が出ずに、ただひとつ、ゆっくりとうなづく。
 じっと暮れいく空を眺めているうちに、風夏はハッと気がついて声を上げた。
「あっ、いけない!」
「どしたの?」
「もう帰らなきゃ」
 暗くなったら母が心配してしまう。風夏は名残惜しさに少しまごつくと、不思議そうに自分を見ている雪晴に、ぎこちない笑顔を向ける。
「今日はありがと。……明日もいる?」
 雪晴が笑顔でうなづいた。風夏は安堵に顔をほころばせて、雪晴に小さく手を振った。
「じゃあ、また明日」
「うん、気をつけてね」
 手を振り返す雪晴に背を向けて、風夏は坂を一気に駆け上がる。坂の上からもう一度だけ雪晴に手を振って、風夏は紫から紺へと変わる空を眺めながら家路についた。

 * * *

 その日の夜、目が覚めてしまった風夏は、喉がからからに渇いていることに気づいた。
 何か飲もうと部屋を出ると、隣の母の部屋からすすり泣きが聞こえてきて、思わずぴたりと足を止める。
「……あなた……」
 扉の隙間から聞こえたその一言を聞いて、風夏の胸は小さくつきん、と痛んだ。
 季節はずれの雪。それは、新しい出会いと共に、決して消えない傷までもを連れてきていた。

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