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■雪柳はただ風に舞う■ □第二話〜記憶の扉を開くる鍵□

 それから数日後。もう大分日は伸びて、頬を撫でていく風は暖かい。地面に積もっていた雪もすっかり溶け、山も少しずつ雪解けの気配を見せていた。
 雪が解けてすっかり土がむきだしになった道を、今日も風夏は村はずれに向かって歩いていた。あれから雪晴とも打ち解けて、春休みですることもない風夏は、ほぼ毎日のように雪晴と村はずれで遊んでいるのだ。
 この日も風夏は雪晴と遊ぶべく、村はずれへの道を急いでいた。いつも会う時間より今日は大分遅れてしまった。その理由は、風夏が胸に抱えている包みの中だ。
「雪晴くん、食べてくれるかなぁ〜」
 淡いブルーの包みをちらりと見やって、風夏はくすりと微笑んだ。中には風夏が一生懸命焼いてきたクッキーが入っている。
 作り慣れていない上少し不器用なので形は悪いが、味は母のお墨付きだ。雪晴ならきっと食べてくれるだろう。
 そんなことを考えながら小走りに急いでいたら、ドンと鈍い音を立てて、風夏は誰かにぶつかってしまった。
「きゃっ…ご、ごめんなさい!」
「なんだてめ……ってあれぇ、お前、蒼井風夏じゃねぇのー?」
 馬鹿にするような野太い声に顔を上げると、そこには道を塞ぐように立っている体格のいい少年とその取り巻き数人が、嘲るような目で風夏を見ていた。
 その顔を見て、風夏の表情が瞬時に強張る。
「つ…剛士…くん」
「よーぉ、何してんだよこんなとこで」
 へらりと笑う剛士に、風夏は何も答えずに、ぐっと俯いて硬い声を絞り出した。
「と、通して。急いでるの」
「待てよ」
 早足でわきを通り抜けようとした風夏の足を、取り巻きの一人である痩せた少年が引っ掛ける。
「わっ!」
 どしゃっと地面に転んだ風夏に、剛士たちはげらげらと笑い声を上げた。
「へへ、片親が、何しにこんな田舎に戻ってきたんだよ」
 剛士のその言葉に、風夏は勢い良く立ち上がって剛士をにらみつけた。
「か、片親って言わないで! 私にはお父さんもお母さんもいるんだから!」
「片親じゃねぇか、おじさん死んでるくせに」
「っ!!」
 言われて、風夏は歯を食いしばった。握りしめた拳が震える。一番言われたくなかったのに。心の傷が、閉じていた記憶の扉が、じわじわと開いていく。
「叔母さんもかわいそーだよなー、お前みたいな疫病神が子供でさ」
「やめて、お母さんはそんなっ……!」
「ないって言い切れんのかよ! 大体おじさんだってお前が……」
「やめてぇっ!!」
 耳を塞いで風夏は叫んだ。扉の鍵が、壊れる。
 父が死んだのは。母が時々、夜中に一人で泣いているのは。
「やめてよ…もう……やめて……」
 涙がこぼれ落ちる。心の奥底にしまっておいた記憶が波のように押し寄せて、意識が遠退いていく。
 記憶の波に押しつぶされて薄れかけた視界。その隅を、赤いマフラーがちらりと掠めた。
「君たちが何をしてようと別に勝手だけど、女の子を泣かせるのは男としてどうかと思うな」
 冬の空気のように凛と澄み切った声。彼のために一瞬、時が止まった。
 赤いロングマフラーを風になびかせて風夏と剛士の間を割ったのは、野原にいるはずの彼。
「……雪晴、くん……」
「遅かったから迎えにきちゃった」
 半分だけ振り返ってふわりと微笑んだ雪晴に、今まで張り詰めていた糸が切れて、風夏はしゃくり上げながら泣き始める。
 剛士たちは突然現れた知らない人物に気色ばんで、雪晴を睨みつけた。
「誰だお前」
「風夏の友達」
「そういうことを聞いてんじゃねぇ!」
 激昂して怒鳴る剛士に、雪晴はしれっと返す。
「じゃあ何を聞いてるのさ。言っておくけど、馬鹿に名乗る名前なんてないよ」
「殴るぞてめぇ!」
「あーこわい、暴力反対。猿山の大将が無駄に吠えちゃってさぁ」
「このっ!!」
 怒りに任せて剛士が雪晴に殴りかかる。しかし雪晴はその拳を片手で軽く受け流すと、一瞬動きが止まった剛士の耳元に唇を寄せた。そして剛だけに聞こえるように、低く囁きかける。
「いいか、人間。よく知りもせずに他人の過去を暴いて曝して貶すな。貴様には他人の幸せを決める権利も、奪う権利もないんだ。その事をよく憶えておけ」
 声に含まれた殺気に思わず身体を強張らせる剛士を見て、雪晴はすっと身を引いた。そしてそのまま背を向けると、泣きじゃくっている風夏の頭をあやすようにぽんぽんと撫でる。
「……こ、この野郎っ!」
 剛士ははっと我に返ると、後ろを向いて隙を見せた雪晴に勢いよく殴りかかった。
 しかし雪晴は口の端をにぃっと吊り上げて、殴られるより先に、その手に握っていた何かを剛士の顔面に思い切り投げつける。

 べしゃっ。

 剛士の顔面で派手な音を立てて、雪球が破裂した。予想もしなかった攻撃に、呆然と立ち尽くす剛士たち。ぼたぼたと顔を滑り落ちる雪の塊を見て、雪晴がわざとらしくおどけた声をあげる。
「あっれー、いけない。中に石入れるの忘れちゃった」
 その言葉に剛士たちはぞっとした。あの勢いでぶつけられた雪球に石が入っていたら、ただ事では済まされない。
 固まる剛士たちを凍りつくような瞳で一瞥して、雪晴は静かに口を開いた。
「これ以上風夏に手を出すな。次は雪球じゃ済まさない」
 剛士がうなづくのすら待たずに、雪晴は風夏に向き直ると、柔らかくその背中を押して促した。
「さ、風夏。行こ」
 青ざめたまま動かない剛士たちを置き去りにして、雪晴はいまだ泣き止まない風夏の手を引いて村はずれのほうへと歩いていった。

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