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■雪柳はただ風に舞う■ □第五話〜吹き抜ける黒い風□

 野原を後にした風夏は、小走りに道を急いでいた。
 もう日が暮れてしまう。暗くなる前に帰らないと、この辺りには街灯も何もないから、道が真っ暗になってしまう。
 帰ったら、母になんて言おう。とりあえず「ただいま」を言いたい。そして、色々話をしたい。
「お母さん……」
 期待と不安がない交ぜの声で呟いた。早く、帰りたい。
 そんな時だった。
 何メートルか先の道の真ん中に、自分よりも小さな小学生ぐらい男の子が、一人ぽつんと立っていた。
 もうこんな時間なのに。風夏は心配になって、俯いている男の子に声をかけた。
「ねぇ、君どこの子? 暗くなっちゃうからもう帰ったほうがいいよ? …あ、お姉さんが送っていこうか?」
 男の子は答えない。どうしたんだろう。風夏がますます心配になって顔を覗き込もうとすると、男の子は不意に走り出した。
「あっ……」
 余計な御世話だったろうか。罪悪感がよぎるのと同時に、風夏ははっと気がついた。
 男の子が駆けて行った方向。あっちは確か、山へと続く一本道だ。
 この時期の山は一番危険なのに。もし間違って迷い込んでしまったら大事だ。
「ま、待って!!」
 風夏は慌てて、遠退いてく男の子の後ろ姿を追いかけた。


「……!」
 すっかり雪の溶けた野原。枯れた草が敷き詰める中、雪晴は唐突に顔を上げた。
「兄貴? どうかしたんっすか?」
 そばに座っていた秋祐が、不思議そうに声をかける。雪晴はそっと背の低い木に触れて、か細く呟いた。
「…嫌な…予感がする」
「嫌な予感?」
 雪晴のただならぬ感じに秋祐が立ち上がった時、二人の背後で陽気な笑い声が響いた。
「クスクス…フフ、アハハッ!」
 雪晴は弾かれた様にその声の方を向いた。そこにいたのは、まだ小さな、小学生くらいの男の子。
 男の子は色素の薄い髪を揺らしながら、おかしそうにお腹に手を当てて、無邪気な笑い声をもらしていた。
「お前……」
「あれぇ、どうしたのユキハル? 顔が青ざめてるよ」
 男の子は可愛げに笑った。だが、その目はどこか冷たい。
 男の子の質問には答えずに、雪晴は腕を大きく一閃した。今まで男の子の立っていた地面が一瞬にして凍りつく。
「イキナリ? 酷いなぁ〜」
「何をしにきた」
 あっさりと飛んで避けた男の子を、雪晴は鋭く睨みつける。
「何をしにきたんだ、フェイク」
 名前を呼ばれて、男の子、フェイクはようやく笑い声を収めた。口元にうっすらと笑みを貼り付けたまま、雪晴を上目遣いで睨みつける。
「何って……決まってるじゃない」
 彼の瞳の中で、黒い炎が揺らめいた。
「ボクはキミがだーいきらいだからね、イヤガラセをしにきたのさ」
「イヤガラセ?」
 冷たい声音で雪晴は聞き返した。その後ろで、秋祐が得意げに声を上げる。
「そんなこと言ったって、お前じゃ兄貴にはかなわねぇじゃん」
「なんだいたの、シュウ坊……ま、そうだね。普通じゃあ、かなわないかな〜」
 普通じゃ、と強調するフェイク。何か企んでいるようなその表情に、雪晴の背筋を冷たいものが滑り落ちていく。
「お前、まさか……」
「そのまさかだったらどうする?」
 狂気じみたフェイクの笑みが深くなる。雪晴はきつく拳を握りしめて、思わず震える声を絞り出した。
「風夏に……お前、風夏に何をしたっ!!」
「まだ何もしてないよ、恐いなぁ」
 すっかり冷めた目で雪晴を一瞥して、フェイクはふっと息をついた。
「まぁ、これからの事は保障しないけど……」
 だって、とフェイクは笑う。
「キミが、これだけ好いてるニンゲンだからね……ボクはダイキライなんだけど」
 静まり返った野原に、フェイクの笑い声が響く。雪晴はぐっと俯いていたが、バッと顔を上げると村の方へ駆け出した。
「あ、兄貴っ!」
「行かせないよ」
 パチン、と指を鳴らす子気味いい音が響いた。
 その音と同時に、先ほど風夏をいじめていた少年たちが、雪晴の前にぞろぞろと立ちはだかる。
 何で今、と雪晴は少年たちを睨みつけた。が、先ほどと比べるとどこか様子がおかしい。手は力なくだらんと垂れ下がって、その目はうつろで精気がなかった。
「フェイク、お前……」
「ボクと同じでキミを嫌ってるみたいだったから、利用させてもらったよ♪
 先に言っておくけど、彼らはボクが操ってるだけ。そんな罪もないニンゲンを、キミが殴れるかなぁ」
 ニヤニヤと笑みを浮かべるフェイクを、雪晴は悔しそうににらみつけた。フェイクはそんな雪晴の表情を見て心底楽しげに笑うと、軽い足取りで宙に浮かびあがる。
「じゃ、ボクは遊びにいくから。…あ、ユキハル」
 くるりと振り返って、フェイクは邪気の欠片もない、晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「殺しちゃったらゴメンネ」
 その言葉と共に、フェイクの姿が空気に掻き消えた。後に残ったのは雪晴と秋祐、そして、フェイクに操られている剛士たち。
「くそっ……」
 雪晴は悪態をついて、じりじりと迫ってくる剛士達を睨みつけながら、心の中で強く、強く願った。
 風夏――すぐに行くから、どうか……無事でいて。

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