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■神様と過ごした三日間■  □side-B□

 次の日。ユタカは神社の長い石段を駆け上がっていた。まさかこの石段を追っては来ないだろうと思ったが、考えが甘かったようだ。
「待てよ、ユタカ!」
 背後からは、ばたばたと荒々しく石段を登る複数の足音と、そう怒鳴る声がした。追いつかれたらどんな目に遭うかわからない。ユタカは重い足をなんとか持ち上げて、時折段を踏み外しそうになりながらも、どこまでも続くような石段を登っていった。
 神社の赤い鳥居が見えた。もう少しで神社の境内に逃げ込める。そうしたら、林の中に逃げ込むなり、拝殿の隙間に隠れるなり、どうとでもなる。ユタカはわずかな希望にすがって残りの力を振りしぼり、石段を登り切った。
 だが、追ってくる三人はそんなに甘くなかった。手水舎の前で乱暴にランドセルを掴まれ、ユタカは無理やり石畳に引きずり倒された。
「やっと捕まえたぞっ!」
「お前、こんなとこまで逃げやがって…今日は容赦しないからな」
 荒い息を吐きながら、三人はぎろりとユタカを睨みつけた。ユタカはなんとか抵抗しようとしたが、体がすくんでうまく動かない。
「何してるの?」
 その時、神社の拝殿の方からよく通る声がした。三人の足の隙間から、黒いスニーカーが見えた。
「クグノ!」
「誰だよこいつ、お前知り合い?」
 三人の視線を受けながらユタカが黙っていると、クグノが静かな表情で歩いて来た。
「神様だよ」
 さらりとそう答えたクグノに、三人は顔を見合わせ、げらげらと笑い出した。
「カミサマ? 本気で言ってんの?」
「頭おかしいんじゃないの、この兄ちゃん」
 馬鹿にするようにそう言った子ども三人に、クグノの眉がぴくっと跳ね上がった。心なしか、浮かべた笑みがひきつっている。
「信じないならそれでもいいけど…まだぼくの質問に答えてないよね。何をしてるの?」
 先ほどよりも低い声音に、三人は笑い声をぴたりと止めた。ごまかすような笑顔を浮かべて、無理やりユタカと肩を組む。
「遊んでただけだよ。なぁ?」
 その背中に、握りこぶしのとがった部分がゆっくりと押しつけられて、ユタカは思わず顔をこわばらせた。
 クグノはその様子を冷たい目で見ていたが、ポケットに無造作に手を突っ込むと、チェーンのついた細長い金属製の笛を取り出した。それを片手でもてあそびながら、クグノはユタカを囲む三人にぞっとするような薄笑いを向けた。
「ねぇ、この森に狼がいるの、知ってる?」
 突拍子もないその質問に、三人はぽかんした顔でクグノを見つめた。ユタカでさえ、一瞬何を言われたのか理解出来なかった。
 呆気にとられた子どもたちを尻目に、クグノはおもむろに笛を吹いた。甲高い笛の音が静かな神社の境内に響く。
 さわさわと周りの木々が揺れた。
「ぼく、この森の狼と友達でね。この笛を吹くと、すぐに駆けつけてくれるんだ。もし君たちが嘘をついてたら……狼は君たちに噛みつくだろうな。彼らは嘘が大嫌いなんだ」
 淡々と告げるクグノの目は笑っていない。
 ユタカを取り囲んだ三人は不安を隠しきれずに、まさか、と笑いつつ顔をひきつらせた。
「そんな、この山に狼がいるなんて話……」
「あ、今声がした!」
 聞いたことない、と言おうとした子どもを遮って、クグノが耳に手を当てた。子どもたちはびくっと肩を震わせ、息を殺して耳を澄ませている。境内を冷たい風が吹き抜け、木々のざわめきはその音を増していた。
「ほら、もうすぐそこまで来てる……」
 クグノの言葉に呼応するかのように、近くのしげみが、ガサガサッと音を立てて揺れた。
「そこだっ!」
 クグノがしげみを示したのと同時に、ユタカを囲んでいた三人が叫び声をあげながら我先にと鳥居の方へ走っていった。ユタカは呆然と石畳に座り込んでその様子を見送ると、恐る恐るしげみに目を向けた。そこから出て来たのは、しわくちゃ顔の、いかにも間抜け面をした小さな犬だった。
「…あ、あれ…狼?」
「……ぎゃっはっはっは! すごい! ひっかかった!」
 はじけるように、クグノがいきなり腹を抱えて笑いだした。あっけにとられたユタカが笑い転げるクグノを見つめているが、なかなか笑いは収まらず、その目の端には涙さえ浮かんでいる。ユタカは訳がわからないまま、クグノの笑いが収まるのを待った。
 やがてクグノは乱れた呼吸を整えながらしゃがみこむと、大人しくクグノを見上げる犬の頭をなでた。
「こいつはふもとのゼン爺さん家の犬だね。また逃げ出したんだな、まったくタイミングがいい!」
 ほら家にお帰り、と言いながらゼン爺さん家の犬を追い返すクグノに、ユタカはぽかんとした顔のままたずねた。
「ど、どういうこと?」
「つまり、全部ウソ。本気で狼を呼ぶなら、こんなおもちゃの笛じゃなくて犬笛を持ってくるって。あー面白かった!」
 思い出したのか、クグノはまたふふっと無邪気に笑った。ユタカは体から力が抜けて、ふうっと肺にたまっていた息を吐き出した。
「びっくりした……カミサマなのに嘘つくんだね」
「神様だからって嘘をついちゃいけないなんて誰が決めたの?」
 知らん顔であらぬ方を向くクグノに、ユタカは小さく吹き出した。やっぱり、全然神様らしくない。
 夕方四時を告げるサイレンが鳴った。ふもとの屋台の喧騒を遠くに聞きながら、ユタカはクグノと拝殿の石段に腰かけていた。
「さっきのヤツら、誰?」
 クグノの質問に、ユタカはぶらつかせていた足を止めた。きっと聞かれると思っていた。
「友達だよ、ただの」
 じっとつま先を見つめてそう答えたユタカを、クグノは無表情で眺めている。
「……昨日さぁ、ユタカ、ノート埋めに来たんでしょ」
 弾かれたようにユタカが顔をあげると、クグノは一冊の土にまみれたボロボロのノートを見せた。表紙にはマジックで、ユタカの名前と悪口が書いてあった。
「なんで…」
「ぼくが何しに来たのって聞いた時に、ユタカ、ランドセルちらっと見たでしょ。絶対嘘だって思ったから、試しに林を歩いてみたんだ。そしたら土をかぶせてからそんなに経ってないところを見つけたから、近くに落ちてたシャベルで掘ったら、これが出てきた。多分、これはぼくと会った日より前に埋めたものでしょ」
 淡々とそう言ったクグノに、ユタカはただ目を見開いたまま、ボロボロのノートを見つめるばかりだ。クグノの視線はそのまま、ユタカの傍らに置かれたランドセルに移った。
「…その中に、ぼくがいたせいで埋め損ねたノートがまだ入ってるんじゃないの?」
 その言葉に、ユタカは思わずランドセルを触った。傷ついたランドセルのざらついた感触が、やけに手のひらに残った。
 クグノはそんなユタカの顔を眺めながら、穏やかにたずねた。
「さっきのヤツら?」
 クグノの問いに、ユタカはこわばった首をかたくなに横に振った。ドックンドックンという心臓の音がやけに大きい。強く握りしめた手のひらに、じわりと汗がにじんだ。
 クグノは不満そうに眉を寄せて、おびえるユタカの目をまっすぐ覗き込んだ。
「黙ってても何も変わらない。言わなきゃ誰にもわからないんだよ、ユタカ」
 クグノの淡々とした目が、何もかもを見透かすようにユタカを見ていた。心臓の音はだんだん大きく、早くなる。このままここにいたら、全部を見透かされてしまうかもしれない。全部、いや、もう見透かされてる?
 そう思った瞬間、何かがユタカの中でぷつんと音を立てて切れた。ユタカはランドセルを乱暴に引っ掴むと、そのまま向こう見ずに走り出した。石畳を蹴って鳥居をくぐり、クグノから逃げるように、無我夢中で長い石段を駆け下りた。

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