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■雪柳はただ風に舞う■ □第九話〜やっと気づいたのに、□

「そしてその子供が…あいつ、フェイクだったんです」
 秋祐の言葉に、風夏は顔を蒼白にして口元を手で押さえた。
「そんな、あんな子供が……」
「子供って…フェイクは確かに子供に見えますけど、実際は姉御の何倍もの時を生きてます。俺らは人間と時間の流れが違いますから」
 秋祐は少し切ないように笑うと、そのまま話を続けた。
「兄貴が名前を呼ぶと、フェイクは笑って消えてしまったそうです。反射的に兄貴が追いかけると……」
 そこで唐突に言葉を切ると、秋祐は風夏をちらりと見やって、再び目を伏せる。
「……後はもう、知ってるはずです」
 風夏は血の気をなくした顔をうつむけて、混乱する頭の中で、一つの答えを導き出した。
 秋祐が言わなかった続き。雪晴が追いかけたその先にはきっと。
 頭から血を流して倒れている父と、泣いてばかりだった、無力な幼い自分がいたのだ。
「兄貴は…アオイさんを守れなかったことをずっと後悔していました。兄貴は自分ではそういうこと言わないんですけど……たまに、すごく悲しそうな顔をするんです。多分…今も自分を責め続けているんだと思います」
 自分の方が辛そうな顔をしながら、秋祐は静かにそう言った。
 一体、何を考えていたんだろう、自分は。風夏の心を後悔がよぎる。
 真実なんてわからないけど。どっちが本当かなんてわからないけど。
 自分が見ていた彼が……優しくて、たまにいじわるで。でも、すごく暖かくて、いつも支えてくれて。そんな、今まで自分が見てきた彼が偽りだとは、思わない。
 ひどいことをたくさん言ってしまった。とても傷つけてしまった。どんなものであろうと、彼であることには…自分を助けてくれた人には変わりないのに。
 今までずっと曇っていた視界が、急にぱっと開けた。心が体を突き動かす。
「ちょ、姉御っ!?」
 いきなり立ち上がった風夏を、秋祐が慌てて抑えようとする。それを振り払って、風夏は一心に駆け出した。
 伝えたいことがある。ひとつだけ、一言だけ――どうしても、今。
 その思いのままに、風夏はひたすらに走っていく。


「あはははは! もうボロボロだね、ユキハル!」
 雪色のコートをところどころ血に染めながら、雪晴は次々と繰り出されるナイフをよけていた。対するフェイクは瞳に狂気を渦巻かせながら、執拗に雪晴に切りかかる。
「早くくたばっちまえばいいのにっ、さっ!」
 何かが裂ける音がして、雪晴の頬に一筋の赤い線が走った。走る痛みに顔をしかめて、それでも雪晴は止むことのない剣戟を避け続ける。
「ボクはねぇ、キミがダイッッキライなんだよ! いっつもいっつもニンゲンに味方してさぁ! 所詮相成れない生き物なのに、ねっ!!」
 ナイフを振り回しながら叫び続けるフェイクを、雪晴は感情のない瞳で見ていた。その様に、フェイクは更に激昂する。
「ムダなことを、そのすました顔でしてんのが気にくわないんだよ!!」
 突き出されたナイフをすれすれでかわした雪晴の脳裏を、一つの考えがよぎる。
 確かに、自分のしていることは無駄なのかもしれない。種族が違えば相成れないのは知っている。怖がられて、拒絶されて。それでも……可能性がゼロなわけじゃないことも、知っている。
 だけど…。雪晴は一瞬切なそうに微笑んで、目を伏せた。
 きっと……嫌われちゃったな。
 雪晴が一瞬見せた隙に、フェイクが嬉々としてナイフを振りかざす。もうほとんど力は残っていない。瞼の裏によぎったのは、懐かしいあの姿。
 ごめん、アオイ。
 心の中で、雪晴はそっと呟いた。


「――雪晴くんっ!!」
 声が、彼を現実に引き戻した。
 一瞬遅れて、自分をかばうように人間がすがりついてくる。あるはずのないその姿に、雪晴は目をみはった。反射的に氷を作り出して、振り下ろされたナイフをはじき返す。
「っ!!」
 衝撃で砕けた氷が、フェイクの腕に深く突き刺さった。両腕から血を流して、フェイクが二、三歩よろよろと後ずさる。
「う…腕がっ…痛いよぉ…ひっく…痛いよぉぉぉぉ」
 狂ったように泣きわめきながら、フェイクは傷ついた両腕を抱くように押えた。涙がこぼれる瞳を憎しみで満たして、雪晴をギロリと睨みつける。
「…覚えてなよね、ユキハル! ボクは絶対キミを許さないよ!!」
 絶対にね、と吐き捨てて、フェイクの姿は空気に掻き消えた。
 その残滓を、雪晴は消えるまで見つめていた。そして、自分にすがりつきながらしゃくりあげて泣いている人間の頭を、そっとなでる。
「……風夏」
「ごめっ…なさい……ごめんなさい…!!」
「何で謝るの? 風夏は悪くないのに」
「だってっ……!」
 言葉にならず、ただふるふると首を横に振る風夏に、雪晴は微笑んだ。泣き続ける風夏に、雪晴は少し黙って、ぽつりと尋ねる。
「僕……怖かった?」
 これにも風夏は黙って首を振った。雪晴は少しほっとしたように表情を緩めると、泣きやまない風夏の頭をあやすようになで続ける。
「…騙してたわけじゃなかった」
 静かに呟くと、風夏が涙に濡れた顔をあげた。
「嫌われるのが怖くて言えなかったんだ。ごめんね」
 申し訳なさそうに微笑んだ雪晴に、風夏はふるふると首を振った。
「わたしこそ…ごめんなさい。守ってくれてたのに…ずっと、守ってくれてたのに。ひどいことを言って」
 雪晴はゆっくりと首を振った。そして、ポケットの中から小さな箱を取り出す。
「これ……遅くなってごめん。風夏のお父さんからだよ」
 差し出された箱を両手で受け取って、風夏は包み込むように胸にあてた。
「お父さん……」
「すぐに渡したかったんだけど、風夏がこれを見るたびに悲しんじゃいけないと思って……でも、もう大丈夫だよね」
 暖かい笑顔に背中を押されて、風夏はうなづいた。
 微笑んだ雪晴の姿が、不意に薄くなる。
「雪晴くん!」
「あ、もう限界かな……さっきので溜めてた力、使い果たしちゃったみたい」
 苦笑した雪晴を、風夏は泣きながらぎゅっと抱きしめた。
「そんな、嫌だよ! お願い…消えないで!」
「風夏なら大丈夫。この後のことはシュウに任せてあるから……大丈夫、無事に家まで帰すよ」
「そういうことじゃないの!」
 雪晴は少し困ったように笑うと、そっと自分のマフラーを風夏の肩に掛けて、その手で流れる涙をぬぐった。
「大丈夫。来年の冬まで眠るだけだから」
「……来年の冬?」
「そしたらまた……あの野原で会おう。風夏が作ったクッキー、また食べさせてよ」
 そう言って微笑んだ雪晴に、風夏は涙を流しながらも、笑ってうなづいた。
 そっと、雪晴の手が風夏の濡れた頬に触れる。目を細めた雪晴は唇だけで何かを呟いて、空気に溶けるように消えた。

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